静かな愛国

7月 6th, 2006 § 0 comments § permalink

私は愛国者を信用する。でもその人はいわゆる愛国者ではないのかも知れない。というのは三島由紀夫の言葉が参考になる。孫引きになるが引いてみよう。

愛国心の「愛」の字が私はきらひである。自分がのがれやうもなく国の内部にゐて、国の一員であるにもかかはらず、その国といふものを向う側に対象に置いて、わざわざそれを愛するといふのが、わざとらしくてきらひである。

愛国の愛はつまり愛玩の愛である。いつからお前はそんなに大きくなったんだ、と。

また、

この言葉には官製のにほひがする。…どことなく押しつけがましい。

というのは卓見であったといえる。何十年か後の与党の愚策を予言しているわけである。愛国心を教育の対象とせねばならないのは、ニセモノの愛国者(国賊といってもいい)が、その稚拙な「頭」で捏造した愛国心を、振りかざしたくて振りかざしたくて仕方ないからである。そういうのって、教えられて(もっと言えば強制されて)身に付けるものではないでしょう。愛国心を盛りたい人ってのは、日本には魅力がないと思ってるのかな。

ふつうは。自分が生まれて育った国でしょう? 嫌いなはずはないんだよ。それをことさら「愛国!愛国!」って唾飛ばしてる人ってのは、一体何? ふつうの人は、口に出さなくても好きなんだよ日本のこと。なんでいちいち「愛国!愛国!」連呼せねばならんのか。もしかして、ほんとは嫌い?

著者は「愛国」に代わる言葉はないものかと問題提起するが、結局のところ答えは見つからない。「愛」ではなくて「恋」なのではないかとも言われる。でも、「恋国」はちょっと変だしね。

愛国心は国民一人一人が、心の中にもっていればいい。口に出して言ったら嘘になる。また他人を批判する時の道具になるし、凶器になりやすい。だから、胸の中に秘めておくか、どうしても言う必要がある時は、小声でそっと言ったらいい。

という静かな愛国者を私は信用したいと思う。

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