アンチ・アンチ・ヒロイズム

3月 16th, 2006 § 0 comments § permalink

「丸々と太った色白の、四十代前半とおぼしき(本当は35歳)」「ロリコンでマザコン」「注射(針が皮膚を刺す瞬間)フェチ」というわけで端的にいうと変態神経科医なわけですが、この伊良部が誰かに似てるなぁと思ったら、京極堂シリーズの主人公、中禅寺秋彦でした。というのは、二人ともやってることが同じなのです。すなわち憑き物落としです。

京極堂がおいしいところだけ出てきてしゃんしゃん落とすのに対し、伊良部は患者の症状(プール中毒、結婚失敗、自意識過剰、携帯依存、確認行為の習慣化)に終始まとわりつき、徹底的に戯画化することにより落とします。その戯画化の手段が振るっているのですが、たぶん医者としては問題がある行為なので、その意味ではブラックジャックに似ているともいえます。

というわけで、京極ファンと手塚ファンから投石されそうなことを書いてますが、それだけ伊良部がかっこいいということです。なんていうか、ふつうにかっこいい。むしろ、京極堂やブラックジャックよりもかっこいい。京極堂やブラックジャックは読者をある程度選ぶでしょうが、伊良部は選びません。誰からみてもかっこいい。甲高い声で「いらっしゃーい」なんて迎えられたら卒倒しそうです。

それから、看護婦のマユミさんが誰に似ているかを考えながら読むのもおもしろいのでおすすめです。

いちばん後ろにいるのは誰か

11月 20th, 2005 § 0 comments § permalink

何ごともつつみかくさず、タブーをつくらず、できるだけすべてのことを分かち合おう、というモットーのもとにいとなまれる四人家族の物語。舞台は郊外のダンチ。語り手は六人。最初は長女で、父、母と継がれ、家族外からも語られる。家族がモットーどおりにいとなまれているはずはなく、語り手が代わるごとに新たな事実が追加されるのはもはやお約束とも言えるが、後から出てきた人がより多くの事実を握っているかというとそうでもない。いちばん後にいるのは当然読者なわけで、読後、じゃあこの家族は何なのかと問われても答えるのは難しい。難しいあたりにリアリティを感じる。実際にこんな家族を知っているわけでもないのに。

例えば父が語る「チョロQ」における父の逃げっぷりのリアリティは、後の愛人描写による父のダメっぷりによって補完され凌駕される。私は絶対にこの愛人に感情移入することは出来ない(その能力が無い)のだけれど、それは決して不自然でも破天荒でもなく、やはりリアルだとしか言いようがない。もちろんこんな父や愛人を知っているわけでもないのだが。

最終的に家族をみんな書いてリアルは完成するが、結局中心にあるのは誰なのか。母なのか弟なのか。アンダルシアのヤリマンなのか。それにしても野猿って何なんだろうなぁ。野猿がいちばん謎だったよ。

ナカタさんがやったこと

4月 13th, 2005 § 0 comments § permalink

ナカタさんに肩入れして読んでみた。15歳の少年田村カフカは行っても行きっぱなしじゃなくて、ちゃんと戻ってくるような気がした。だから安心感があった。でも、ナカタさんはどうなっちゃうんだろう。ただただお話に利用されて終わっちゃうのかなという不安があった。以下、ナカタさんパートネタバレにつきご注意ください。

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世界の中心で、カカアは叫ぶ

10月 27th, 2004 § 0 comments § permalink

いきなり、

やはり、なにかハッキリさせたいものが、あるんだろうか?おれ自身にも、わからない。

ときたものである。

次に、「しかし、」ときて、さらに「ともかく、」と続く。たぶんもうこの時点で(まだ一頁も進んでいない)、読まない人は読まないだろう。

朝おきてからの出来事を特におもしろくもなく並べていく。「おれ」は駐留軍の施設で、検査技師のようなことをしている。作業の内容について詳しいことが書かれているが、詳しいことはほとんどわからない。ただ、分からなくても読める。

「おれ」は通勤途中駅へ向かう道のりや電車の中で、同じく通勤(または通学などなど)途中であろう人を観察し、あれこれ想像する。屈強そうな体躯、頑固そうな顔の男は土方をやっていて、休憩時間には聖書を読んでいるだろう、職場ではもちろん浮いているし、教会に行っても汗臭いのを嫌がられているだろうとか、たばこをふかして歩いている30半ばの女はGIの恋人がいるだろう、週末にいつもハイヒールなのはデートだからだろうとか、本当のところはもちろん分からないが、たいがい当たっているだろうという。もちろん確かめる術はない。

「おれ」の翻訳してる小説が、ところどころ挿入されるが、これも取り立てておもしろいものではない。何か教訓めいたことがあるわけでもない。

やっても、やらなくても、そんなことはどうだっていい。もっとも、どうでもいいことばかり、こうして書いてきているんだが。

そうなのである。どうでもいいのである。ここから読み取れるのは、個々の事実ではなく、「おれ」の他人を突き放す態度である。そこには「カカア」や「上の娘」や「下の娘」も含まれる。

突き放すといっても我関せずというのではなく、他人は他人だからわからない。あれこれ想像はできるが分からない。分からないから分かりたいかというとそうでもなく、結局のところどうなのだろう。「おれ」はどう関わりたいのだろう。

おれにとっては、このおれは、いくらか述語の選択ができる主語のはずなのに、なぜ目的格にしてしまうような努力をするんだろう?こうして、だんだん、死んでいっている。

寒い冬の夕方に「道をあるいている人たちを、けっして寒そうには見ていない」ことに気がつく。それがつまり、世界の有り様なのだろう。中学生の「おれ」が電車の窓から外を見ているときに、突然自分とは離れた世界があることを認識するのも同じことだ。他人は他人として理解不能のままあり、世界は無関係でも回っている。自動巻時計は巻かれもしないのに自動する。

世界に中心なんてない。100パーセントの説明もない。ただ、カカアの機嫌がいいのは、悪いことではない。今日のところはもう、寝てしまうとしよう。

キャラクタ小説

7月 31st, 2004 § 0 comments § permalink

『ファウストvol.3』了。西尾維新と奈須きのこである。エンターテインメント作家としての力量は、素人目にも圧倒的である。何よりそれはキャラクタ作成の技術であろう。極端なキャラクタを作る必要はなく、丁寧に律義に描いていけば、独自性は後からついてくるものだ。そのあたりの姿勢が例えば清涼院流水と西尾維新の明確な相違点だと思うのだがどうか。あと、小説よりも人生相談の方がおもしろかった。真骨頂だと思えたのだが、どうか。小説がダメだというのではなく、人生相談がよりよかった、ということです。念のため。

むしろありえない

7月 13th, 2004 § 0 comments § permalink

大塚英志『木島日記乞丐相』。続編。津山30人殺しとか人間避雷針とかそうだソーダとか、今回も十分に「あってはならない」物語であったが、前作の方が「あってはならない」感じがしたのはたぶん読んだ時の体調によるのだろう。むしろ折口信夫どうなのと思うのだが、それも体調によるのだろう。

で、京極夏彦『百器徒然袋ー風』をぼちぼちと。榎木津の。このシリーズと本編京極堂シリーズははずしがたいところであるが、私としてはむしろ関口シリーズを読みたい。胡乱な作家が胡乱な事件に巻き込まれ、誰が暴れるでも憑き物落とすでもなくただ胡乱なまま進行して、どうしようもなくなったところで失神でもしてみるか。そしてそのまま了。

新電気ムーブメント(オーム社)(嘘)

6月 27th, 2004 § 1 comment § permalink

一ヶ月近くあいてしまいました日々の読書も(通称罅髑)ですが、新現実後はどういったことかと申しますに。

まぁあれやこれやと麻耶雄嵩『まほろ市の殺人秋ー闇雲A子と憂鬱刑事』、もはやタイトルからして騙されておりました。気づくよふつう。最初からおかしいと。でもさっぱりわかりませんでした。読者として都合よすぎ。「あなたが優しくなったら」…。そうですね。優しくなりましょう。

で、舞城王太郎『九十九十九』。満を持して『九十九十九』。メタ探偵のメタの部分を抜出して特化した戦慄の九十九十九。「はうら〜ふうら〜ほいね〜」と九十九十九。美しさのあまり素顔を見たものは失神するという九十九十九。このへんの出生時エピソードだけで、ごはん三杯はいけますな。

それから新規開拓奈須きのこ『空の境界』新伝綺ムーブメント。そもそも伝奇というのが何やらよくわかっておらず、ひとまずシュバイツァーとか野口英世でないことはわかった。笠井潔の解説は読まないといけないのか、などと書いてみて、笠井潔解説だから読んでみようと思ったくせに。とはいえ小説自体がおもしろいので笠井の解説は読まなくていいかも知れない。現在下巻のあたまであの人がやられたところ。どうなるのかしら。

で、リンクしようと思ってアマゾンに飛んだらユーズド価格で4000円も5000円もついている『空の境界』。新品(もちろん定価)でも24時間以内発送になっているのに、何が起こっている『空の境界』。

地獄

2月 27th, 2004 § 0 comments § permalink

日々のと名乗りつつご無沙汰してしまいました。最近は。

図書館本を優先させるために鮎川哲也中断、森博嗣『迷宮百年の睡魔』。珍しくオチが分かりました。あなたがそうならわたしもそう。こういうような話はいくら読んでもまたかという感じがしない。関係ないが叙述トリックも同様で、たぶん好きなのだろう。

筒井康隆『ヘル』。カタカナで「ヘル」ってのがなかなか破壊力があってすごいと思う。そのまま地獄と訳していいのか分からないが僕に地獄があるとすればこんな地獄なのだろうと思うリアリティがある。単に筒井のことが好きなだけなのかも知れないが。

古所誠二『未完成』。律義だなぁ。律義というのはつまり破綻してないというか隙がないというか、たぶん若い人なのだろうが力量があると思う。力量というのは必ずしも物理的な分量や情報量を伴うものではない。

それからファウストの2号をボツボツと。『九十九十九』(未読)のネタバレ評論があったのであわてて飛ばす。危ない危ない。ミステリについてはもう今は本当に新しいので何が起こるのかさっぱり分からない。新しいというのは僕にとって珍しいという意味です。

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