日月両世界旅行記

12月 6th, 2008 § 0 comments

月はまだわかる。も、太陽がいよいよもってわからない。

私はからだのまわりに露を満たしたガラスびんをたくさんくくりつけた。(p.12)

月に行くときのスタイルです。実際は(実際は?)「いくらでも高く上昇できると思われる機械」(詳細解説なし)で飛び立つのですが、基本的な推進力はこのガラスびんです。ガラスびんはフラスコ状で、15ページの挿し絵では、瓢箪を腰の周りにぶら下げた男が、「うひゃあ」というポーズで宙に浮いています。瓢箪の中の空気が熱せられて軽くなり?宙に浮かぶ?うん、セーフ。ギリギリセーフ。これなら月に行けるかも知れない。何をやっているんだこの人はと思いますが説得力、ギリギリあります。

が、しかしですね。太陽へは、箱でいくのですね(p.237)。えぇ。箱としか呼びようがありません。手品とかに使いそうな感じの。一応、帆のようなものが付いています。風を受けるのか?風で太陽まで昇るのか?

まぁいいです。いくんです。いけたんです。いけたはいいんですけど太陽の、何をどう解釈していいかわからない。

そこである動物が息絶えると、いや、もっと正確にいって、消えてしまうと、その実体を構成していた火性の小物体はこの燃え立つ世界の粗大な物質の中に入る。そして偶然にあの三本の川の退役に潤されるようになるのを待つのだ。そのときになるとこれら小物体は、それが本来もっている流動性のゆえに動きが自由になり、川の水によって漠然とながら教えられた諸機能を早く実行しようと長い繊維状になって互いに結びつき、発行部分の入出によって鋭い光線となってまわりの諸天球へと広がっていく。(p.381)

これ、まだまだ続きます。太陽に住む動物たち(平均寿命7〜8000年)の死に様を描いているのですが、具体的にどういう絵を想像すればよいのかわかりません。そのせいで、ガリバーよりもマイナーなのだと思われます。

月よりも太陽が難しいのは、月からは戻ってくるけども太陽へは「行きっぱなし」(未完?)だからかも知れません(ネタバレなので伏せておきます念のため)。

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