犯人はオレだ!

10月 24th, 2006 § 0 comments § permalink

倒叙ものを読むとどうにも気分が沈みます。犯人の身勝手な独白に嫌気がさし、それでいて真相が発覚しそうになるとハラハラする。どう転んでも嬉しくないのです。犯人、探偵、誰に肩入れして読めばいいのかわからない。さて。

倒叙ものというのは、最初から犯人がわかっているミステリです。犯人が分かっていて一体何がおもしろいのか。

本書においてはまず被害者が亡くなるシーンから始まります。そして、視点が犯人にスイッチし、犯行に至る動機、準備、実行、後始末が描かれます。

犯人はどこでしくじったのか?警察はどうやって追いつめるのか?犯人の心理状態は?駆け引きは?特別な視点を導入することにより、通常のミステリでは描写しきれないものを描写する、それが倒叙ものの醍醐味です。そしてそれが倒叙もののすべてだと、私は思っていたのです。

ここからは完全にネタバレです。いつものネタバレよりもさらに容赦なく最上級のネタバレです。これから本書を読もうと思っている方は言わずもがな、読んでないけどこれからも読む予定はない、という方もこのエントリの続きは読まないでください。本書を読んだことがある方だけ先にお進みください。

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腕がぷるぷるした

10月 22nd, 2006 § 0 comments § permalink

今回の話は「話が違う」ということについて何となく、薄々ぼんやり気づいたのはやはり図をかいてみたからなのでしょうか。だとするなら、そんな小賢しいことはせずに混沌とんと読み進める方法も捨てがたいようにも思われますがまぁそれは置いといて。

大きな絵を描こうとすると失敗するというのはこのシリーズでは常軌です。私が好きな『魍魎の匣』においては、「匣」に象徴される個人的な欲望、小さ(いながらも異常)な体験からなる妄念が重要な役割を果たしたのでした。動機は小さい方がいい。犯人にとっては決して小さくはないんだけども、主に読者の目からなる全的な視点から見れば、小さい。小さいがゆえに驚かされたりもするわけです。そしてその小さいのがカシャーンカシャーンと音を立てて嵌り込んでいく。何とも小気味いい場面です。

というところが、今回おもしろかったという感想。読んだ人はみんな共感してくれるはず。

ここからは、どちらかというとおもしろくない。おもしろくないのに目を逸らすことができない。

大鷹というキャラクタです。こういう人物をしっかり書くというのが力量なのだと思いますが、ミステリにおいては必ずしも求められることではない。なんとも贅沢な話です。

阿呆ではないけど空気が読めない。頭は悪くないのにとんちんかんな発言や行動を繰り返して、相手を唖然とさせる。意識を表層しか活用しないからです。こういう人は現実にもいますよね。学校や職場といった世間に、確実に一人はいます。いつでもどこでも一人はいます。なのに誰もが自分は大鷹ではないと思っている。もちろん私も思っています。私は大鷹ではありません。

のだけれども。

人は常に合理的な判断を行うわけではない。合理で動いたつもりが、何の理にも合ってなかったということは、現実においても多々ありまして、そのようなことをミステリで書くのには、必要以上の説明が必要となってくるでしょう。大鷹の人となりについて、また、思考回路の働きについてくどいくらいに描写されていたのは、作者の配慮なのでしょう。大鷹も大鷹自身の合理で生きているのだということです。

ただ、世界はおろか自分自身の理にすらかなわず、もうただただ疲労していたとか怠慢であったとか色んな事が重なって何も考えられなかったとか、そういう言い訳しかできないことがあります。比較的自覚的な大鷹と言える状況かも知れません。しかしそれは自覚的であるがゆえに非合理です。大鷹部分を否定せんがために、個性の統一に齟齬が生じるからです。そんな種類の非合理を、ミステリというルールで書く事は可能なのでしょうか。すでにミステリじゃないのかな。変な人が変だったり変じゃなかったりするような、やっぱり変。

あとこれは余談ですが、関口が妙にまともでしたよね。関口に感情移入している身としては調子が狂う。

さらに余談を重ねますが、青木と郷嶋が対決するシーンで泣いた。通勤電車で人目を憚りながら泣いた。あのシーンで感情を揺すぶられるのはわりとわかりやすいと思うのだが、泣くという表出の仕方は間違っているだろう。もう少し身体をコントロールできるようになりたい。

邪魅の雫を読み解いている

10月 15th, 2006 § 0 comments § permalink

京極堂シリーズ最新作です。いま読んでいる最中です。いま読んでるんだけどもまだ読み終わってはない本を「読んだ」か「読んでない」かで分類すると、これはもう文句なしに「読んでない」ですので、読んでないです。

京極堂シリーズといえば、比較的シンプルな構成のもの(姑獲鳥とか陰摩羅鬼とか)と複雑な構成のもの(絡新婦とか塗仏とか)とに分類されると思うのですが、今回は後者ですね。なぜならば、人がいっぱい出てくる。

今回の投稿はネタバレです。読んでないのにネタバレとはどういう了見かと批難されても、事実として読んでないし如実としてネタバレなんで、どうしようもありません。

複雑に絡まり合った人間関係を、超わかりやすい図でもって解き明かします。いうなれば超図解です。五章までに登場する人物たちを総観的にまとめてみました。まとまりすぎているので、犯人わかっちゃうかもしれません。注意!

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われは探偵

10月 8th, 2006 § 0 comments § permalink

古典とは発見であり再発見であるところの新発見である。

すみません。今回もそれです。SFとミステリの華麗なる融合などという売り文句に、すっかり騙られました。そんな中途半端なものではありません。これはまったく新しいミステリです。いうなればロボットミステリです。ロボットミステリとSFミステリとは何が違うのか。SFミステリとはSFチックな設定で展開するミステリです。では、ロボットミステリとは? その答えは残念ながらネタバレです。

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Where am I?

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