いやいやながら医者にされ

8月 31st, 2006 § 0 comments § permalink

夏も終りの岩波文庫。残暑厳しい折りみなさまいかがお過ごしでしょう。アリバイ作りのように更新する鯖書房岩波文庫部ですが、違いますよ。え?8月?31日?今月更新なし?やべぇ!って、そうじゃないんですよ!僕はもう、泣きながら牛乳パックでロボット作ってたあの頃の僕じゃないんだ!(トラウマ)

はい、本日はモリエールです。

お読みになった方にはご納得いただけると思うのですが、これってタイトル変ですよね。「いやいやながら医者にされ」だと、医者の家に生まれた子どもが無理矢理跡を継がされるというような話かなぁと想像しますよね。実際には主人公は医者ではありません。どちらかというと木こりです。あえていうなら「いいえ、風変わりな医者で、木を伐るのが好きなんですよ」ってとこでしょうか。

喜劇と言うよりもショートコントです。どこを切り取ってもおもしろいのですが、この夫婦が振るっている。

スガナレル あっちへ行ってくれ。お前の顔を見ると、せつなくて、せつなくて。

マルチーヌ いいえ、わたしゃここにいて、お前さんが死ぬのを応援してあげるよ。お前さんが、縛り首にされるのをみとどけるまで、わたしゃここから動かないからね。

スガナレル やれやれ!

これが岩波文庫で読めるってのは本当に幸せですね。

KAMISAMA enjoys the game

8月 27th, 2006 § 2 comments § permalink

※注)本投稿の投稿者は私店員Kですが、内容については店主の解釈によるものです。私自身はありふれた感想しか抱きませんでした。正直、その発想はなかったわ。

「神様ゲーム」のGoogle検索結果からもわかるように、すでに数多くのレビューがあり、2006年版「このミス」5位ということもあって、議論し尽くされている感のある本作ですが、違う。違います。誰もが本作品の著者が麻耶雄嵩であるという事実を忘れているかのようです。主たる議論の対象となっているのはあれかこれかの二択ですが、違います。それは問題を見誤っています。

また、本作が講談社の「ミステリーランド」という子ども向けの体裁を取ったシリーズに収められていることから、「子どもに読ませられるか」ということが論点になりがちですが、それもミスリードです。麻耶雄嵩が子ども向けでないことは初めからわかっているはず。なのになぜあえて「子ども向け」なのか。そこを注意深く検証することによっても、正しい読みが導かれます。

それからタイトル。「神様ゲーム」。ゲームをするのは誰か、ということです。

以下ネタバレです。

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復習

8月 26th, 2006 § 0 comments § permalink

自分だったらアラブ人を撃つか、という問。撃つ、と回答する。撃つ他ない。撃たない、自分には撃てない、と回答したいところだが、やはり撃ってしまうだろう。4〜5発は撃つだろう。もしかすると撃ち方がわからないかも知れない。

太陽が出ていなかったらどうか。太陽が出ていなかったら撃たない。

アラブ人でなかったらどうか。アラブ人でなくても撃つ。私には植民地の問題は関係ない。

母さんが死んでいなかったらどうか。母さんが死んでいなくても撃つ。母さんが関係するのは裁判であり、撃つことには関係ない。

母さんを埋葬した日と同じ太陽だったから撃ったか。同じ太陽でなくても撃った。太陽であれば撃った。

太陽のせい太陽のせい言うから不条理に思えるけど、正確には、

太陽が照った→アラブ人がナイフをかざした→刃が陽光を反射し、光がムルソーの視力を奪った→だから撃った

のである。これだったら、ムルソーでなくても撃つよ。4発撃つかはわからないけど撃つ。

感情移入できる読者はすでによそもので、よそもの同士友だちになることは考えにくい。ムルソーに恩赦があって死刑を免れたらいいと期待するのは構わないけど、期待させるようなことを書くのはどうかと思う。

司祭の憎まれ役ぶりに感謝という発想は素晴らしいと思う。この司祭にはむかついてむかついて、むかつきーと叫びながら握った右のこぶしを突き上げることしかできなかったから。私には。ムルソーが興奮するのを見たかったわけじゃないけど、見たかった人もいるのだろう。

あぁ、でも。『よそもの』を読んで、「自分はよそものではない」と思える人間は、一体どんな人間なのかと思うよ。こんなことを書きたくはないけど、そんな人間がいたら奇異の目で見る。たぶんそんな人間は私のことを奇異の目で見るだろうから。一方的に見られるのはつらいから。

顛末書

8月 22nd, 2006 § 0 comments § permalink

8月19日から21日にかけて発生した一連の事故について、ここにその顛末を報告いたします。

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予習

8月 16th, 2006 § 0 comments § permalink

もう何年前に読んだのかわかりません。今回は予習のために再読してみました。

きょう、ママンが死んだ。

私の全体がこわばり、ピストルの上で手が引きつった。引き金はしなやかだった。私は銃尾のすべっこい腹にさわった。乾いた、それでいて、耳を聾する轟音とともに、すべてが始まったのは、このときだった。

『異邦人』の第一部で発生する事件はこの二つです。この二つを除けばムルソーは、海水浴にいったり映画をみたりデートしたり、ごくごく普通の生活を送っています。二つの事件とふだんの暮らしと、両者の不連続ゆえに、この作品は不条理であると言われます。より正確には、ムルソーの行動が不条理なのは構わないが、その不条理を描いた『異邦人』という小説は何だ? 何のつもりだ? ということになるのではないでしょうか。人の行動が不条理なのは自分というものを内省してみればわかることですから、それ自体はさほど不条理ではない。だけども好き好んでその不条理を、作品として表現するというのはかなり不条理、というよりも変態なのではないか。

というのが私の認識です。

第二部。「太陽のせい」は実はよくわからないのですが、裁判後の「御用司祭」との面会での切れっぷりは、論理的な一貫性が失われているどころか、宗教の持つある種の押しつけがましさを見事に捉えていて共感できましたよ。それでもやはり「今もなお幸福であることを悟」っているという境地に達することはできないですが。

というのが本日の限界です。もやがかかったように眠いです。本当は少しも眠くなんかないのですが、このへんで勘弁してください。次回解決篇っちうことで。

Where am I?

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