人間・世界・男性/女性

6月 25th, 2006 § 0 comments § permalink

「SFとミセス・ブラウン」。これはたぶん日本では「ミステリとミセス・ブラウン」と置き換えられ、かつて新本格批判に用いられたのでしょう。すなわち「人間が書けてない」。この「人間が書けていない」で、SFのステロタイプが批判されます。確かに「売れればいい」式の商業主義を擁護する必要はないとは思いますが(擁護しなくても生き延びるので)、あえて「人間を書かない」小説が成立するのかという追究も、力量のある人には可能なのではないでしょうか。そもそも「小説=人間を書くもの」という定義があるのなら、まったく違うものを作り出してもかまわない。

ファンタジーはこの世界について書かれたものではありません。別の世界の物語です。つまり、別の世界が構築されなければなりません。にもかかわらず、本書で繰り返し主張されるのは「世界はすでにある。そこに住む人たちの言葉に耳を傾けよ」ということです。「マニア好みの設定資料集を編む暇があったら、そこにある世界に息づく人々の生き様を描け」ということです。なるほど。でもね。やっぱり素人は、どこにあるのよそんな世界、と思っちゃうのです。あなたの頭の中にあるその世界は、どこからやってきたのですかと、問うてしまうのです。巧みな人は、そのへんを答えてくれませんね。すっとぼけかたも一流です。「考えちゃダメ」。

「性は必要か」では、『闇の左手』が引かれつつ、人間を書くことの新たな試みが提示されます。少なくとも私にはそう思えました。『闇の左手』はたぶん、セックスを無効にすればジェンダーも無効になるか、という実験なのではないでしょうか。憶測ですが。『闇の左手』はぜひとも読んでみたいと思いました。私自身はセックスとジェンダーには緩い相関がある、のでは、なかろうか、ということぐらいしかわかりません。これに関連して、私の恥を晒しておきます。

そう、私はアーシュラ・K.ル=グウィンの作品を読んだことがないにもかかわらず、彼女を男性だと思い込んでいたのです。これは偏見以外の何ものでもありません。つまり私には、彼女のファーストネームをイニシャルにするという「検閲」を行った編集者を、批難する資格はないわけです。

恥かきついでにもうひとつ。総称代名詞の話です。「英語における総称代名詞は【he】なので、両性具有であるゲセン人も【he】と呼ばざるをえず、どうしても男性のように見えてしまう。日本語には【彼/彼女】を表す(つまり性別を問わずに使える)代名詞があるそうで、うらやましい」というようなことが書かれているのですが、これって、何のことでしょう? そもそも、日本語における「主語」って? ハッ!

黄金虫・アッシャー家の崩壊

6月 10th, 2006 § 0 comments § permalink

アッシャー家はどうすれば崩壊しなかったのか、考えてみた。

屋敷の老朽化が進んでいた。補修、改築、建て直しを検討すべきであった。ただ、最近は悪徳な業者も多いというし気をつけねばならない。

次に、アッシャー。陰気。

「僕は死んでゆく」と彼は言った。「こんな惨めったらしい羽目で死んでいくのが僕の宿命さ」

はいはい。わかったわかった。

あと、沼。おあつらえ向きの沼。さっさと埋めちゃえばいいのに。

で、とどめがマデリン姫。姫て、姫? 噂の姫子? まあそれはいいとしてこの姫が最後の一撃を振り降ろす。

話は変わりますが、日本にはお通夜という習慣があります。広辞苑には、「死者を葬る前に家族・縁者・知人などが遺体の側で終夜守っていること」とあり、お葬式の前に近親者のみで故人にお別れをする、という意味があるのでしょう。

この通夜をな、アッシャー家もやっときゃよかった。一説によると、そもそも通夜というのは「死者が本当に死んでいるか確認するため」行われるようになったのだそうだ。

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