ナショナリズム入門

4月 30th, 2006 § 0 comments § permalink

何を以てナショナリズムとするのか寡聞にして知らないが、明治以降の日本ほど愛国者にとってすばらしい国はないだろう。

本書前半部は福沢諭吉における脱亜西洋化教育思想が、学歴社会へと実を結ぶ過程について論じられる。日清戦争で得た資金をふんだんに使って教育制度を充実させ、現在の価値に換算すると月給が2千5百万にもなる高級官僚を生み出したのは最大の功績のひとつといえる。

後半では戦後の経済復興、アメリカに重臣として抜擢され大成功を収めるに至るサクセスストーリが描かれる。冷戦下での見事なポジショニングや、アジア各国から要求された戦後補償をスマートにかわす身のこなしなど、胸のすく思いである。

このへんは常識の範囲内なのかな? 私はいい勉強になりました。中学生ぐらい向けでちょうどよかった。

余談部分ではありますがひとつおもしろかったのが、靖国問題。

中国共産党が1972年の日中共同声明で日本に対する賠償請求を取りやめた時、当然のことながら中国の民衆からは不満の声が上がった。これに対して周恩来は「戦争を推し進めたのは日本の軍国主義者であり、その意味では日本の民衆とて被害者である。真の加害者である軍国主義者たちは東京裁判で裁かれた。だから賠償請求することにより、日本の民衆を苦しめるのはよくないことだ。」と述べた。確かにこれは建前かも知れないが(本当はニクソンによる根回しがムニャムニャ)、中国上層部はそう説明することにより、民衆の不満を抑えようとしたわけだ。それが、今になって日本の首相はA級戦犯の祀られている靖国神社へ参拝するという。真の加害者たる軍国主義者たちが祀られている靖国神社である。中国からすれば建前がぶち壊されるわけで、「ちょっと待てお前」となるのは当然だろう。賠償するんなら話は別かも知れないけど。

また、アメリカのある歴史博物館には、第二次大戦の敵国リーダーとして、ヒトラーやムッソリーニとともに、東条英機の写真が展示してあるという。これが正当な扱いかどうかは知らない。が、少なくともアメリカにおける認識はそういうことなのだ。だから、日本の首相が靖国に参拝するということは、ドイツの首相がヒトラーの墓参りにいくのと同じようなもの。まぁ変人変人と持ち上げている人たちからすれば、この種の「気持ち悪さ」も首相の魅力のひとつなのかも知れないが。

大統領「なんかキモいけど言うこと聞くし金持ってるし」

まぁそれはさておき。

現代のナショナリズムに違和感を覚える人が読むと非常に納得できます。愛国ってそういうことじゃないだろう。安易なマッチョ主義で自足できるほど、日本の愛国者はナイーブではないし弱くもないと、信じたい所存です。

リイルアダン短篇集 (上)

4月 9th, 2006 § 0 comments § permalink

通底する何かを読み取るのが本来なのでしょうが私には難しいので、放棄します。

仲間の成功を祝駕する戯作家たちの夜食会。酒が進につれて話は活気づいてくる。話手は自身が介添人を務めた決闘の話をする。決闘が終り、倒れて血を流す決闘者に向かって彼の吐く科白は、「アンコール、アンコール!」

この短篇のタイトルが「暗い話、話手は尚暗く」なんです。

五頁のうちに、

あの日は、シャン・ゼリゼエの大歡兵式であつたが!

が四回、

『憐れな盲者にお慈悲を、お願ひで御座います』

が六回出てくる「民衆の聲」。「繰り返し」は「笑い」の基本ですね。

秀逸なのが「斷頭臺の祕密」。死刑囚エドモン・デジレ・クゥチー・ド・ラ・ポンムレー博士の元に、ある面会人が訪れる。面会人の名はアルマン・ヴェルポー教授。高名な外科医である教授は博士にある実験の話を持ちかける。その実験とは、「斬首後の脳に意思は残存するか」。

断頭台と死刑囚を使った実験という、設定だけでも卒倒しそうですが、結末。この結末はちょっと予想できない。うん、普通の人間には無理だ。短編小説であることを忘れてしまいそうになる。

というわけで下巻に続きますよ。

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