にんじん

10月 31st, 2005 § 0 comments § permalink

誰もが否定したいかも知れないが、誰だっていくばくかはにんじんなのである。ルピック氏、ルピック夫人、フェリックスやエルネスチイヌを登場させれば、「家族」や「個」というもののほとんどが現れてくる。

で、にんじんは、ルピック夫人がそこにいない間に、自分一個の意見を陳べるのである。
「僕としちゃあ、家族っていう名義は、およそ意味のないもんだと思うんだ。だからさ、父さん、僕は、父さんを愛してるね。ところが、父さんを愛してるっていうのは、僕の父さんだからというわけじゃないんだ。僕の友だちだからさ。実際、父さんにゃ、父親としての資格なんか、まるでないんだもの。しかし、僕あ、父さんの友情を、深い恩恵として眺めている。それは決して報酬というようなもんじゃない。しかも、寛大にそれを与え得るんだ」

まぁこの意見はあえなく却下なわけだが。

ルピック氏曰く。

「我々って、いったいなんだ? 我々なんて、ありゃせん」

エチカ (下)

10月 23rd, 2005 § 0 comments § permalink

とはいえやはり1〜3部はほんの前菜、メインは人間の認識や知性、とりわけ自由の問題にあります。神様なんか誰も信じてないですからね。教会ですら信じてないですしね。本気なのはスピノザぐらいで。

好きなことを好きなようにやるのが自由、と思っていませんか。感情のおもむくまま、欲望の命ずるがままに振る舞うのが自由だと。

ちがいます。それは自由ではありません。なぜなら、感情や欲望に従属しているからです。感情や欲望の引いた線上をなぞらされているだけだからです。幸せだと感じるならそれはそれでたいへん結構なことですが、残念ながら自由ではないのです。

では、本当の自由とは何か。どうすればそこに到達することができるか。

…についてはネタバレになりますのでここでは触れません。ぜひ読んでください。かなりのボリュームですが、デザートは別腹ですからね。禁欲すりゃいいってもんじゃないって、スピノザも言ってますしね。

楽しみ

10月 19th, 2005 § 0 comments § permalink

BOOK TOWN じんぼう。21日(金)オープンとのことで、どんな感じになるのか楽しみです。

エチカ (上)

10月 15th, 2005 § 0 comments § permalink

神はありがたくない。

永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性からなっている実体 すなわち神が、ありがたいはずがない。神がありがたければ、この世界などないに等しい。神は在るのである。そのことをスピノザは第一部で証明する。さほど難しいことでもないし、落ち着いて考えれば当たり前のことなのだが、スピノザの方法はとても慎重で、おせっかいだ。誰にでもわかる。

神に感謝したり神を奉ったりするのは、神を貶めることだからやらない方がいい。やるのは勝手だが、勝手にやってほしい。そもそも神に何らかの目的があると考えること自体ナンセンスだ。神はただそれだけで完全なのであるから、完全度の低い中間物を介して得られた結果が神を満足させるはずがないのである。

あなたが拝むべきなのは神ではない。神を拝むくらいなら、路傍の石ころでも拝んでいた方が100倍マシである。もちろんあなたには、石ころよりも拝むべきものがあるのだろうが、それが何であるかは私は知らないし、たぶんスピノザも知らない。少なくともそれは神ではない、としか言えない。

いや、あなたが拝んでいるそれは、すでに神ではないから(むしろ石ころに近いだろう)、別に拝んでいても構わない。ただそれを神と呼ぶのは滑稽だ。人生において何ら支障はないだろうし、死んでから困るようなこともないだろうが、滑稽だ。石ころにも神が宿るというようないんちきユビキタスも、何だか安っぽいし好みではない(そんなことは聞いてない)。

スピノザが第一部をも含めてなぜ「倫理学」といったのか、よく考えてみるべきだ。神の存在証明は、人間の知性や感情、自由について述べるための方便ではない。それ自体「倫理学」であり、きわめて実践的なのである。

外套・鼻

10月 10th, 2005 § 0 comments § permalink

外套はその主人公が役人であるという点に注目して読みたい。いや、むしろ、肩入れしたい。役人も、役人じゃない人も、役人的でさえあれば、その資格はある。

小役人アカーキエウィッチは、外套を新調するという戦いに無謀にも挑みかかり、大方の予想どおり、散る。

こよなく幸福な気分で家へ帰ると、彼は外套を脱いで、もう一度ほれぼれとラシャや裏地に見惚れてから、ていねいにそれを壁にかけたが、今度はそれと比べてみるつもりで、もうすっかりぼろぼろになっている、以前の《半纏》をわざわざ引っぱり出した。それを一目ながめて彼は思わず笑き出してしまったー何という似ても似つかぬ相違だろう! それからもずっと長いこと、食事をしたためながらも、例の《半纏》のみじめな現在の身の上を心に思い浮かべては、絶えずくすくす笑っていた。

これが小役人アカーキエウィッチの絶頂期である。この後の惨状を知るものは、涙なしに読むことはできないだろう。そこから五ページと進まないうちに彼は不幸のどん底に落ちる(落とされるのではなく、落ちる)ことになるわけだが、実は引用部の次の行には自らその第一歩を踏み出している。合掌。

鼻はミステリ。失踪事件。焼き立てのパンの中から発見されるが、そのパンに葱をぬって食べたいというロシア人も謎。永遠の謎。

ロボット(R.U.R.)

10月 8th, 2005 § 0 comments § permalink

描かれるロボットの製造工程が生々しすぎる点についてはさておき。

アルクビスト ロボットは生命ではない。ロボットは機械さ。

二号ロボット われわれは機械でした、先生、でも恐怖と痛みから別なものになったのです

アルクビスト 何にかね?

二号ロボット 魂になったのです。

ここで、「人間になった」と言わせないあたりが実は伏線説、というのはさておき。

第三幕を当世風の結末二転三転劇(視点変更含む)に書き換えれば、猿の惑星ばりのトリックSF映画が作れるように思われる。誰かすでにやってるのかな?

Where am I?

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