柿の種

8月 22nd, 2005 § 0 comments § permalink

類い稀なる物理学者による冴え渡る予言の数々。その先見性には目を見張るものがある。

映画の入場料を五十銭均一にしたら入場者が急増したという話を聞いて、筆者はこれが五十銭ではなく四十七銭均一で、いちいち三銭の釣りをもらうのであったら、こんなにも流行らないだろうと予想する。そして、その打開策として。

偶然友人の経済学者に会ったので、五十銭銀貨の代わりに四十七銭銀貨を作って流通させたら日本の国の経済にどういう変化が起こるかという愚問を発してみた。これに対する経済学者の詳細な説明を聞いた時は一応わかったような気がしたが、それっきりきれいに忘れてしまった。

筆者は「忘れてしまった」と書いているが、自ら「愚問」としていることから、このような試みは何の意味もないことを悟ったであろうことが読み取れる。中途半端な額面の貨幣を作っても誰も使わないし景気は好転しないと。ああ、似たような話が最近どこかの国でありましたね。

次は短いので章全体を引用してみる。

新しい帽子を買ってうれしがっている人があるかと思うと、また一方では、古いよごれた帽子をかぶってうれしがっている人がある。

筆者は「また一方では」と書いたが、真意はそうではない。彼は将来、両方をうれしがる人が現れることを知っている。そしてその答えはジーンズショップにあるだろう。

最後に引っかかるのは書名、すなわち「柿の種」である。私にはこれが何かを訴えているような気がしてならないのだがどうか。明後日あたりに何かが起こるような気がしてならないのだがどうか。

ビアス短編集

8月 15th, 2005 § 0 comments § permalink

終盤ばかりを切り取った短編集で、切り取り方がいかにもジャーナリスティック。ラジオニュースか新聞のような感じで流れる。最後の瞬間に起こるであろうすべてのことが、これ以上ないくらい客観的な手法で語られる。

例えば「アウル・クリーク鉄橋での出来事」。

アラバマ州北部のある鉄橋に、ひとりの男が二十フィート下の急流を見おろして立っていた。

から始まり、最終段落、

ペイトン・ファーカーは…(以下略)。

に至るまで、登場人物や作者の主観を排除し、ただただ場景の描写に徹している。

「チカモーガの戦場で」にしても、主人公が6歳の男の子であるため、視線は低いところを動いているようであるが、決して男の子の目を通してはいない。

このストイックな手法が、短編の肝である「落ち」で、劇的な効果を生んでいる。哲学者にも非哲学者にも、お終いは等しく訪れる。ああ無情。

と思って読んでたら、母殺しの罪に問われた「ぼく」が裁かれているのは<無罪裁判所>で、検事が証言に異議を申し立てると、裁判長は「文句があるなら<不服裁判所>に行け」と。何じゃこりゃ。ビアスってこういうのも書くのですね。無情というよりも無常ですね。まるで人生のようですね。

タッパーよりも

8月 8th, 2005 § 0 comments § permalink

古典中の古典であるということは知っているつもりです。それでもなお称賛に称賛を重ねてしまうのは密室というものの本質をズバズバついているからです。

そうなんです。隙間が空いてたら密室じゃないんです。

人間や猿蛇は言うに及ばず、アリンコミジンコも当然として、空気中の微生物、いや、空気そのものの出入りをも拒否する気密性、それを要求されるのが密室なのです。そして、見事応えたのが黄色い部屋である、と。

黄色い部屋以上の密室なんて、もう作られないでしょう。作るんなら、巨大缶詰めとかタッパーとかになるでしょう。いや、族議員ならやるかも知れん。むしろそういう方向性かも知れん。

以下ネタバレです。

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地底旅行

8月 3rd, 2005 § 0 comments § permalink

リーデンブロック教授に匹敵するキャラクターがいたら教えてほしい。こんな人が伯父さんだったり担当教官だったりしたら、人生歯車狂いそうだ。

わしらは降りるのだ。もっともっと降りて、降りつづけるのだ!わかっていると思うが、地球の中心にたどり着くまで、あとたった六千キロ降りるだけでいいんだぞ!

というようなことをラスト50ページにも至って言ってのける。

これに対する語り手の「わたし」。

そんなこと、言うまでもありませんよ。とにかく進むことです。前進だ!(棒読み)

すみません。勝手に追加しましたが、ここ絶対棒読み。

(地底で)竜巻が起こったり、(地底で)海が干満したり、(地底で)恐竜が闘ってたりするのに、妙なリアリティがあるのは、ヴェルヌの妄想力もさることながら、挿し絵によるところが大きいのではないか。微に入り細に入り見てきたかのように描かれるありえない風景や珍しすぎる生き物の数々は、われわれの想像力を補って余りある。むしろ過剰である。過剰といっても悪い意味ではない。必要以上に過剰なのである。

特に297ページの挿し絵とキャプションは振るっている。さすがは伯父、ハイブロー。ダメージが足にきたよ。

Where am I?

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