悔やむという快楽

1月 20th, 2005 § 0 comments § permalink

いわゆる「『このミス』読み」。長編が出てるなんて知らなかった。しかも法月綸太郎ものですから、これを読まずに何を読むのか2004年です。

前衛彫刻家が娘をモデルに石膏直取り人体彫刻を製作した。彫刻家は癌でなくなり、遺作からは首だけが切り取られ持ち去られた。誰が、何のために。

「誰が」と書きましたが、力点は「何のために」の方にあります。いわゆるホワイダニットです。つまり動機です。

動機なんてふつうはわかりません。実は親子だった、恋人だった、トラウマだった、人間じゃなかった、などなど、読者には知らされていなかった事実があらわになり、なるほど、だから、やったのか、となるのが並のホワイダニットでしょう。そうでなければ、別の動機を右手にちらつかせておいて、左手の方でごそごそ、みたいな。

そこが本作の特異なところです。直球なんです。目をしっかり開いていれば見えるのです。冷静に推理すればわかるはずなのです。なぜ首は持ち去られたのか。犯人には、何が、必要だったのか。もちろん、言うまでもなく、私にはわかりませんでした。わかりませんでしたが、わかる人にはわかるのだろうということはわかりました。道具立てが万全だったからです。ヒントは冒頭から結末まで、至るところに配置されています。フェアです。そのフェアさ加減に悔しくなります。迂闊な人は悔やんでください。

悔やむといえば法月綸太郎。苦悩の探偵です。今回は「事件は防げたのではないか」ということを悔やみます。だけどちょっとあっさりしすぎの感も。仕方ないといえば仕方ないのかも知れませんが、昔みたいにもっとうじうじ悔やんでほしいところです。

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