なぜわたしはこんなにこんななのか

12月 31st, 2003 § 0 comments § permalink

『トップラン』何とか2003年中に読了。最終分冊はほぼニュースとガイドブックからの抜粋だった。2000年ってばこういうことがあったんだねぇと懐かしくなった。小渕さんとか雪印とか大統領とか噴火とか。肝心の謎解きは。正直もっと破天荒なものを期待していたのだが、まとまってしまったなぁという印象。アーカイブという考え方ゆえにまとまってしまったのか。地味過ぎるのではないか。やっぱり厳しい。僕には厳しい。21世紀は厳しいよ。

というわけで、厳しい時代を乗り切るために岩波文庫のニーチェ(『この人を見よ』)をめくり始めたが、なぜ唐突にニーチェなのかというと、下にもあるように滝本竜彦の『超人計画』を読んだからで、そういえばニーチェだなぁ、ニーチェって読むと変に元気になったなぁと思い出し、ニーチェなのである。いきなり「なぜわたしはこんなに賢明なのか」だからなぁ。

来年こそは強気センスで臨みたいのです。

総括

12月 31st, 2003 § 0 comments § permalink

今年は清涼院流水で暮れそうな気がする。出鱈目な一年だったので、それはそれでいいのかも知れぬ。存外手間取って『トップラン』ようやく最終分冊。このまま終わっちゃうのかな。

暮れということで、今年読んでおもしろかった本、読んだ順。

ジャン=リュック・エニグ『剽窃の弁明』マニアの受難(すべての事はもう一度行われてる。すべての土地はもう人が辿り着いてる。)。古処誠二『ルール』戦争ってこういうことだよきっと。小野不由美『魔性の子』初。ハムさんのおすすめ。舞城王太郎『煙か土か食い物』何度でも書くがスピードと文体。大塚英志『木島日記』ありえないとは思えない。佐藤友哉『水没ピアノ』剥き出しの主人公。内田百閒(OS X推奨)『大貧帳』元気出ます。滝本竜彦『超人計画』渋谷に行こう。

今年は思ったよりもたくさん読めた。それだけ逃避していたということであろう。来年も逃げます。逃げ続けます。

文章の流れる速度

12月 27th, 2003 § 0 comments § permalink

もっとメモ的に。

『トップラン』現在4分冊目。相変わらず距離がつかめない。駄洒落もほんとに駄な感じがして困る。好きなんだけど駄洒落自体は。もっと言葉を慎重に選べないものか。あらすじ部分はどう考えてもコピーペーストだしなぁ。そんなに急がなくてもいいと思うのだが、そういうところを問題にしてはいけないのか。そういうところを問題にして拘泥してうじうじしている僕の足下を鮮やかに掬ってほしい。そんな種類のスピード感を求める。常に最前線にいなくていいから、突然眼前に現れて、瞬く間に去ってほしい。

『世界は密室でできている。』読了。薄いところによくあれだけ詰め込んでいると思う。にもかかわらずちょうどいい具合の速度で、青春小説。

バルト『表徴の帝国』をパラパラと。好きなのは、東京の中心は空虚である、ってやつと、「所番地なし」。書くよね。地図って普通に書くよね。それがおもしろいというのがおもしろい。おもしろい速度。

錯誤行為

12月 23rd, 2003 § 0 comments § permalink

言い間違い、ということについて考察する機会を得、愛読したフロイトを再度(二度三度?)ひも解いてみようと思った。『日常生活の精神病理』(フロイト著作集4)か『生活心理の錯誤』(フロイド選集13)どちらかを持っているつもりだったのだが、いくら探しても見つからない。売ったかなぁ。気を取り直して『精神分析入門』を開いたり、古い記憶(記憶!)を呼び起こしてみたりする。

フロイトが『精神分析入門』の第1部で「もろもろの前提を論ずることではなしに」取り上げたのは、錯誤行為であった。実際に彼が錯誤行為に注目したのは、『夢判断』以降のことと考えられるが、一般向けの講義であるということで、まずは比較的わかりやすい錯誤行為について論じたのであろう。

フロイトのいう錯誤行為とは、言い違い、書き違い、読み違い、聞き違い、度忘れ、もの忘れ、思い違いなどのことであるが、これらが起こるメカニズムはどれもほぼ同じであり、いずれも「本人の意識的な意向とこれを妨害しようとする無意識的な意向との衝突によって起こる心的行為である」とフロイトは言う。自分の中で意識と無意識がせめぎ合ったその結果である、というわけだ。

例えば、ある大学教授は教授就任の講義の中で、「私には、わが尊敬する前任者の数々の功績のことを述べる資格はありません」と言うつもりだったのが、「資格はない」と言う代わりに、「気持ちはない」と言ってしまった。「述べる気なし」と。要するに、前任者が嫌いだったのだろう。教授の無意識的な気持ち(妨害しようとする意向)が、就任の挨拶(意識的な意向)に取って代わって出て来たのだと言える。

錯誤行為は三つの種類に分けられる。

一つ目は、妨害する意向を当人が知っていて、行為の前に気付いている場合で、二つ目は妨害する意向を知ってはいるが、それが行為の直前に活動していたことは全く知らない場合である。この二つの場合、例えば言い違いであるなら、これだけは言ってはならないというようなことに限って、つい口をついて出てしまう、というようなことである。つまり行為者がその意向を口に出すまい、と思った直後に、あるいは少し後に言い違いが起こる。さっきの大学教授の場合はおそらく第二のケースだろう。

三つ目は、妨害した意向について指摘されると、当人は激しく拒絶し、そんなことはありえない、絶対にありえない、と主張するような場合である。この場合も基本的には前の二つと同じメカニズムなのだが、妨害する意向が遥か昔に抑圧されたものであるため、当人は激しく否定するのである。
要するに、「何かをしようとする意図を抑圧することが錯誤行為の原因」というわけで、つまりは、間違いにも何かしらの意味があるってことです。

そこで激しく疑問なのだが「インジェクト」って何?たぶんこのいい間違いをする人に、「インジェクトって何?」って聞いても「知らん」というだろう。「このハガキのことじゃないのか」というだろう。ここに!間違い当人が抑圧してしまって、全く意識することのない事実が存在する!存在するはずだ!

まぁどうでもいいや。

調子に乗ってきたので、そのうち「疑似記憶」についても書きたいと思います。

スノビズムとしての読書

12月 21st, 2003 § 0 comments § permalink

『悪の読書術』読了。この本(作家)が好きだ、と表明することに対して、人はあまりに無頓着なのではないか、ということ。これは僕も以前から思っていたことで、例えば「村上春樹が好きだ」と言うのと、「ビートルズが好きだ」と言うのとは、行為としては似ているが、前者はとても多くて後者はあまりいない。何故なのだろうなぁ。音楽の方が嗜好という意味では成熟しているということだろうか。

正直なところ、清涼院流水はほとんどわからない。屈託なく感想が言えない。『トップラン』の2巻を読み終えたが、これからどうなるんだろう、というよりは、これから作者はどうするつもりなんだろう、という方に考えてしまう。文章がすらすら読めないから、作者が目に付いてしまうのだろう。そういう演出なのだろうか。小説においてはありえない演出だと思われるが、小説じゃないといわれればあぁなるほどと。お話としてはようやく展開し始めて加速しようかというところ。

舞城王太郎と清涼院流水を並べてしまうのがスノビズムとしての私なのだと思うが治らぬ。

ぼちぼち読んでます

12月 21st, 2003 § 0 comments § permalink

初回なので現在読んでいる本を整理する。

舞城王太郎『世界は密室でできている。』講談社ノベルス
清涼院流水『トップラン』幻冬舎文庫
福田和也『悪の読書術』講談社現代新書
『新現実vol.2』角川書店

舞城王太郎は4冊目。順番出鱈目に読んでいる。『阿修羅ガール』というタイトルは素敵だが、いちばん好きなのは『煙か土か食い物』。『世界は密室でできている。』は風呂で読んでいる。風呂に入るのは週末だけなので、あまり進みがよろしくない。「仁丹」を飲み干すシーンがすごい。仁丹状のものが一生口に入れられなくなりそうだ。

清涼院流水は2冊目。ずいぶん前に『コズミック』を読んで、当時僕も若かったので文章が読めなかった(結局最後まで読んだが)。内容については楽しんだと思う。が、いかんせん、文章が読めなかった。僕も若かったので。最近は若くなくなってきたので、読めるような気がして読んでいる。教養としての読書である。麻耶雄嵩や浦賀和宏が読めるのなら読めるはずである。現在2巻目の真ん中ぐらい。ひたすら自作(?)性格診断テスト(?)の解説で、どうやって読んだらいいのかわからない。最後に強力なカタルシスがやって来るものと思われる。

福田和也初めて。妻に勧められ読んでいる。「本にも階級がある」ということを常に意識して、僕も本を読んでいる。読んだふりをしている。似合わない服は着たくないが、やはり期待を裏切りたい気持ちもあるのだ。

須賀敦子といえばタブッキの翻訳しか読んだことないのであるが、男が須賀のエッセイを愛読するというのはどうなのだろう。比喩的な意味一切なしに「コンサバなワンピースを着る」ということになりかねないのではなかろうか。

『新現実』。いつから読んでいるのかわからない。どこまで読んだのかもわからない。どのタイミングで読んでいるのかもわからない。vol.3が出る前に読み終えたい。終わりたい。

Where am I?

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