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マルクス/エンゲルス編/向坂逸郎訳『資本論 (七)』

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2008年11月中旬現在の日本では、タイムリーな巻です。

利子についての話、俄景気についての話、恐慌についての話。
備えという意味ではありません。復習という意味です。
恐慌といえば1930年のことを指すとばかり思っておりました。はい。愚かでした。
循環してるのはなにも東洋的世界観に限った話ではなく、脇役視点から見ればキャピタリズムの世界もまた堂々巡りを繰り返しているのでした。

何かを思い出すなと思ったら『大転落』(イーヴリン・ウォー)でした。
鯖書房はポール・ペニーフェザーとグライムズとのタッグチームなのでありますが、もうこの組合せからして、羽振りの良さとは今後も縁がないことは推して知るべし。
このたとえ話でいくと、日本はマーゴット層の用い方を根本的に誤っているのだろうなと、ふと。

脱線ついでに、もしや日本政府は米国のサブプライムローンフィーバーを再猿真似しようとしていたところアテが外れてさぁどうしよう、てな状況だったりしたらもう目眩どころではないな、どこがどこに倣ってるのかもよく分からなくなってるなといった縁起でもない妄想はともかく、

p. 85に引用されている、1859年ニューヨークでの、奴隷制擁護弁護士オーコナーによる表明を、いったいどのツラ下げてこういったことを口走れるのかその背景を探りあぐねている矢先にオバマ新大統領の演説が。だいたい150年でしたね。
ところでしかし、「自然そのものによって奴隷状態に運命づけられたのである」と決めつけられたのは、自分の育った国では何にあたるのだろうと。
父も母も天皇も現代日本ではまったく主人的ではなく。
どうころんでも奴隷っぽくないというと、「待望された孫」くらいしか思いつきませんでした。
期間限定主人。おおむね小学校卒業くらいまででしょうか。
こういう主人に対して革命願望というのはいかにも持続しにくい、マス化しにくいであろう気はします。

p. 152前半の罵詈雑言は「ローマ人」を別に置き換えてあれこれ流用できそうですが、個人的には、ほとんどまったく共感できません。
このノリさえなければ、とりたてて厭ということもないのですが。

Posted at 2008. 11.13|コメント(0)


マルクス/エンゲルス編/向坂逸郎訳『資本論 (七)』
 マルクス/エンゲルス編/向坂逸郎訳
 資本論 (七)
 岩波文庫

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