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橋本敬がおかしい、おかしいんですよと、大騒ぎしながら読んだが、最後まで読んで合点。「Three」からは三郎の嘘なのですね。それを認識した上で再度ページを繰ると、一度目とは微妙に印象が違ってくる。というわけで続きは完全にネタバレです。
↑ やっぱり読まない(ネタバレ閉じる)
「Three」以降、「布瀬由里緒」は「ユリオ」として描かれ、そこからユリオと三郎、愛の物語が始まる。ユリオの恋人である橋本敬は「子供のおもちゃ」として殺害される。なぜ、十四個のパルサー!ではいけないのか。なぜ、吐瀉物による窒息死ではいけないのか。ユリオの愛を暴力にするためである。暴力(丸雄と二郎)を通じて、ほんとうの愛を見出すためである。でも、それは三郎の嘘。
それを踏まえてもう一度、「Two」を読み返すと、何とも切ない気持ちに、文字通り襲われるのです。マネキン抱えてあぜ道歩いているのを見つける、手の平池の暗闇で「誰?」と問われる、三郎と由里緒の事実はたったそれだけなわけです。たったそれだけで、三郎はユリオを創作してしまう。いかに由里緒がモデルばりの美少女でも、想像力働きすぎでしょう。愛とは何なのでしょう。真実とは何なのでしょう。三郎と由里緒は一体どうなってしまうのでしょう。
長い「嘘」を読まされた読者は、由里緒の存在の希薄さを持て余すことになる。ユリオと比べて、あまりにも何も書かれていない。嘘のユリオはたくさん書かれいて、読者なりの感情移入もあるだろう。本当の由里緒を読者はどう思い浮かべればいいのか。柑橘の匂いをかいでみればいいのか。本当の由里緒。書かれない本当の由里緒。でも。嘘だの本当だの書いても、それはひっくるめて嘘なのである。小説だから。あぁ、小説だから。小説というのは本当に嘘なのでしょうか。作中作が嘘で作中が本当でも結局は嘘なのでしょうか。そういうのがたぶん愛だ何だ言う前に切ないのでしょう。線のよれよれを泣くのでしょう。
それはそうと、「One」の楓エピソードは全部「本当」ということでいいのかな。ということ自体、作者(もちろん三郎)の術中にはまっているということかな。
Posted at 2004. 6. 3|コメント(0)
舞城王太郎
暗闇の中で子供
講談社ノベルス