あるいは
鯖書房 » 読書部 » 外国の小説 » ジャンニ・ロダーリロダーリ,猫とともに去りぬ,光文社古典新訳文庫
こういうものがまだまだ眠っているから、人類を愛す。ボンテンペルリを読んだ時にも思った。イタリアの児童文学者だそうで、初めてかと思ったら、『チポリーノの冒険』を読んだことがある。いや、読んだことがあるというよりも幼年期に愛読していた。再会なわけだ。
「チヴィタヴェッキアの郵便配達人」。タイムトリッパーもの。ピラミッドを二時間で建てる出鱈目な話なのだが、細かい部分が妙におかしい。
「どうだい、考えてくれたかい?」
「ええ、十九時三十分から十一時四十五分まで考えました。」
「ですが、ぼくは何もせずに時間を無駄にすることに慣れていないのです。この船は、ちっともエジプトに着く気配がないように思えます」
ところがどっこい、船はきちんとエジプトに着いた。
そのうち《コオロギ》は、エジプトのピラミッドの建設を手伝わされるために運ばれているという予感がした。案の定、到着した砂漠には、建設中のピラミッドがあった。
「ピアノ・ビルと消えたかかし」。ピアノを弾きながら平原をさすらうカウボーイ。どういう状況か想像してみてほしい。
白い馬にまたがって前をゆくのが、ビル。黒い馬にまたがって後ろをゆくのが、ピアノ。ビルとピアノ。ピアノとビル。そう、ピアノ・ビルだ。
言うに事欠いて「そう、ピアノ・ビルだ」か。
「ヴィーナスグリーンの瞳のミス・スペースユニバース」は、端的にいうと「シンデレラ」で、不遇の主人公、途中の展開から結末に至るまで、シンデレラそのものなのであるが、全然違う。シンデレラと全然違う。どこが違うのか判然としないにもかかわらず、もう何から何まで見事に違うのである。このあたりの「容赦なさ」が、ボンテンペルリを彷彿とさせるのかもしれない、イタリア人。
今後も「光文社古典新訳文庫」には期待ですね。本作のように、「なぜか翻訳されてない名著」をどしどし発掘してほしいです。その「なぜか」を想像してみるのもおもしろいですしね。
Posted at 2006. 9.30|コメント(0)