シナリオライターの憂鬱
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出鱈目だ。ひどすぎる。物語に対して特別な思い入れがあり、『緑の家』を読んでやられてしまった人は読まない方がいい(そういう人はすでに読んでしまっているだろうが)。とても同じ作者が書いたとは理解できない。騙された!金返せ!サッカー場に火を放て!
奇数章で僕(若かりし作者)とフリア叔母さんとの恋物語、天才シナリオライターペドロ・カマーチョとの刺激的な日々。偶数章はその天才が書いたラジオドラマだが、どれも途中で放り出される。
それが途中からだんだんおかしくなって、互いに無関係のはずの各ドラマ同士が入り乱れるようになる。警官がまじない師として再登場し、死者は生き返る間もなく二度死ぬ。迫り来る暴漢は密航者(ここは(笑)が100個ぐらいつくところですよ)。天才シナリオライターは珍しく弱気となり告白する。「記憶が裏切るんだ…」。いや、ちょっと、裏切りすぎ。カマーチョ最高。
が、真骨頂はドラマ間の混交ではなくてやはり、奇数章の、偶数章への侵略であろう。物語が現実を、ではなく、現実が物語を侵す。現実は物語じゃないから、物語を好き勝手に侵すのだ。
「昨夜は何があったか知ってるか。舞台は山から下りてきた貧しい家族が経営するリマの古びた下宿屋だ。みんなでしゃべりながら昼飯を食べている最中に、突然地震が起きるんだ。ガラス窓や戸が震える音がして、叫び声が上がる。それがあんまり真に迫っていたんで、俺たちは腰を抜かしそうになったよ。」
昨夜起こったことが奇数なのか偶数なのか、誰に判断できるだろう。
「これはニュースじゃなくて、十一時のラジオ劇場ですよ。」
という科白を吐く人物が、ラジオ劇場の登場人物じゃないとでも?
マリオとフリアの恋の行方にも注目したい。いい加減な区長を探し求め、二人と援助者はペルー中を走り回る。なぜ、そんなにまでして、結婚せねばならないのか。これは、物語というよりもリアルであり、紛れもなく「ラブコメ」である。そして、最終章のこの懐古的な、それでいて乾いた感じは何だろう。
あらゆる自伝は、「自伝的」にならざるを得ない。物語が現実には困難だからだろう。『緑の家』よりも屈折していて、どちらかというと『緑の家』の方が好きだけど、こういうのもいいかなぁと思えます。いずれにせよ、すごいなぁ。破綻してなくて、律義です。
Posted at 2004. 10.14|コメント(0)