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団塊ジュニアと言われても

鯖書房 » 読書部 » 評論/随筆 » 大塚英志,新現実 Vol.3,カドカワムック

「くびれの世代による上野千鶴子論」。というよりは、「くびれの世代によるくびれの世代」(何だそりゃ)。vol.2でも思ったのだが、なぜそこまで己の世代を追い込まなければならないのか。危機意識だろうか。ざっくりまとめると、くびれの世代(団塊と団塊ジュニアの狭間)の特徴として、バブルで甘い汁を吸ってしまった、「世代」というものに捕われすぎている、論拠の薄いことを思い込みで主張してしまう、というようなことが挙げられているのだが、どれも「くびれ世代」の特徴というよりは、「世代に関わらずそういう人もいる」ように思えるのだが。自己言及ゆえにどうしても論理的な循環に陥りがちで、世代批判としては屈折した構造を持っている。どこまで後退して判断すればいいのか分からない。これも、いかに「戦時下」に語るか、という文脈で読まないといけないのかな。それはそうと、上野千鶴子論はどこへ?

Posted at 2004. 5.17|コメント(0)

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 大塚英志
 新現実 Vol.3
 カドカワムック

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