危機の二十年

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70年くらい前に書かれたものです。

これから先についての予見まで含むことになってしまうのかどうかは分かりませんが、2010年時点では、結論も込みでいくらなんでもここまで見事になぞらなくてもと目眩がするくらい、「今現在」の捉え方としても有効です。

大きく更新が必要なのは全盛期を過ぎたのが英国から米国に替わったことくらいでは。

本題は国際政治なのですが、個々の話は、もっと身近なことへの示唆とできる箇所もかなり。
引用しだすとキリがないくらいにあります。

(p. 97) 利益調和の信念が存続したのは、『国富論』の公刊と蒸気機関の発明とにつづく百年を特色づけた生産と人口と富との比類のない膨張によって可能であったのである。

このくだりほぼ1頁、殆どそのまま「日本がいま頭を抱えている困難」の理由説明に代えること可能です。

(p. 166) リアリストの攻撃は、現実の人間にはユートピアンの諸原理を実践することができないとしているのではない。…(中略)…人びとがその原理を一貫して適用することにみずから失敗し自国民をその原理にそって導くこともできなかったなどということは、それほど問題ではない。問題は、これらの絶対的普遍的な原理とされるものが、およそ原理というものではなくて、特定の時期における国家利益についての特定の解釈にもとづく国策を無意識に反映したものであったということである。

「出来るわけないって言ったでしょ」ではなく、「また場当たり的なこと言って」ということでしょうか。

(p. 370) 第三節「政治的」紛争に司法的手続をとる見当違い
なぜ法的問題と政治的問題とのこの区別を堅持してゆくことが必要であるのか。法的問題は現行の法的権利にもとづいて司法的手続によって解決するのをよしとする問題であり、政治的問題は現行の法的権利を改変する要求にかかわっているために政治的手順によるしか解決しえない問題である。…(中略)…司法的手続は、力の要因を排することで政治的手順とは根本的にちがっている。紛争が裁判所に付託される場合、その前提は、当事者間の力の差異は全くかかわりがないということである。

この区別、日本には無いですよね…。
もちろん日本の話をしている箇所ではないのですが。

これを教科書にして現代日本への批評がゾロゾロと出ていそうだなぁと思いました。

ともかく、基本書の1冊として要再読、再々読です。

(p. 282) 倫理的基準は国家間の諸関係には適用され得ないとするリアリストの見解は、マキアヴェルリからスピノザやホッブスを経てヘーゲルへとたどることができるが、ヘーゲルにおいて最終的で徹底した表現をとるものである。

ここへきてまた青版へ脱線しそうな雲行きになってきましたが…。

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