復習

鯖書房 » 読書部 » 評論/随筆 »  野崎歓『カミュ『よそもの』きみの友だち』

自分だったらアラブ人を撃つか、という問。撃つ、と回答する。撃つ他ない。撃たない、自分には撃てない、と回答したいところだが、やはり撃ってしまうだろう。4〜5発は撃つだろう。もしかすると撃ち方がわからないかも知れない。

太陽が出ていなかったらどうか。太陽が出ていなかったら撃たない。

アラブ人でなかったらどうか。アラブ人でなくても撃つ。私には植民地の問題は関係ない。

母さんが死んでいなかったらどうか。母さんが死んでいなくても撃つ。母さんが関係するのは裁判であり、撃つことには関係ない。

母さんを埋葬した日と同じ太陽だったから撃ったか。同じ太陽でなくても撃った。太陽であれば撃った。

太陽のせい太陽のせい言うから不条理に思えるけど、正確には、

太陽が照った→アラブ人がナイフをかざした→刃が陽光を反射し、光がムルソーの視力を奪った→だから撃った

のである。これだったら、ムルソーでなくても撃つよ。4発撃つかはわからないけど撃つ。

感情移入できる読者はすでによそもので、よそもの同士友だちになることは考えにくい。ムルソーに恩赦があって死刑を免れたらいいと期待するのは構わないけど、期待させるようなことを書くのはどうかと思う。

司祭の憎まれ役ぶりに感謝という発想は素晴らしいと思う。この司祭にはむかついてむかついて、むかつきーと叫びながら握った右のこぶしを突き上げることしかできなかったから。私には。ムルソーが興奮するのを見たかったわけじゃないけど、見たかった人もいるのだろう。

あぁ、でも。『よそもの』を読んで、「自分はよそものではない」と思える人間は、一体どんな人間なのかと思うよ。こんなことを書きたくはないけど、そんな人間がいたら奇異の目で見る。たぶんそんな人間は私のことを奇異の目で見るだろうから。一方的に見られるのはつらいから。

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