われは探偵

Posted on 日曜日, 10月 8th, 2006 at 3:57 AM

古典とは発見であり再発見であるところの新発見である。

すみません。今回もそれです。SFとミステリの華麗なる融合などという売り文句に、すっかり騙られました。そんな中途半端なものではありません。これはまったく新しいミステリです。いうなればロボットミステリです。ロボットミステリとSFミステリとは何が違うのか。SFミステリとはSFチックな設定で展開するミステリです。では、ロボットミステリとは? その答えは残念ながらネタバレです。

ロボットミステリとはロボットが探偵であるところのミステリです。ん?本書における探偵って、ライジ・ベイリじゃないの?もっともな疑問です。裏表紙のあらすじを読む限りはニューヨーク・シティの刑事ベイリが探偵役、その助手としてロボットのR・ダニールが配置されているように思えます。ベイリのトライ&エラーが描かれる本編においてもその印象を拭うのは難しいでしょう。でも、それは、巧妙な偽装です。真の探偵役はダニールの方です。すなわちロボットが探偵です。

そもそも探偵とは何でしょう。「事件の謎を解明する人」?たいへん惜しいところなのですが、少しだけ外しています。正解は、「物語を終わらせる人」です。通常のミステリにおいては、「謎の解明→物語の終末」という流れがありますので、「謎を解く人=探偵」もあながち間違いではありません。しかし、本書は違いました。物語の終りは謎の解明によってもたらされたのではなかった。物語の終りは謎の解明の放棄によって、突然投げつけられたのです。なぜ謎の解明は放棄されたか。より厳密に言うなら、なぜ謎の解明の放棄は許されたのか。それは、探偵がロボットだったからです。

「きみには個人的な好奇心はないのか、ダニール?きみは探偵と自称している。探偵がどんなものか判っているのか?捜査というものが肉体労働以上のものだということが。それは挑戦なのだ。きみの精神が犯罪人の精神と戦うのだ。知性の衝突なのだ。きみはその戦いを止めて、敗北を認めるというのか?」

これは「謎を解く人=探偵」という認識のもとに吐かれるベイリの科白です。ダニールというより上位の探偵に対する戸惑いです。正直に告白しますと、私自身本書を読むまではこの認識は自明のことだと思っていました。好奇心は必ずしも求められないということには気づいていましたが、それでもなお探偵とは解く人のことだと信じていたのです。

「正義には段階があります、イライジャ。小さな正義が大きな正義と相容れないとき、小さな正義は負けるのです」

ロボット探偵の論理によれば、ミステリという戦いにおいて、解明が敗北することもあり得るということです。よりことばを選ぶなら、謎そのものが無効になるということです。それが放棄の容認です。わからなかったからあきらめるのではなく、もはやわかるとかわからないとかいう問題ではないのです。

ただ、アシモフはやさしかった。ロボットの側に立ちながら、人間を救済しました。この救済は本来無用です。でも、アシモフは、あえて解いたのでしょう。人間は、まだ、ロボットにはなれないからです。おそらく21世紀の世界においてもなれないでしょう。いつになったらなれるのか、私には分かりません。もしかすると、ロボットが人間になる日のほうが、ずっと近いのかもしれません。

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