腕がぷるぷるした

鯖書房 » 読書部 » ミステリ »  京極夏彦『邪魅の雫』

今回の話は「話が違う」ということについて何となく、薄々ぼんやり気づいたのはやはり図をかいてみたからなのでしょうか。だとするなら、そんな小賢しいことはせずに混沌とんと読み進める方法も捨てがたいようにも思われますがまぁそれは置いといて。

大きな絵を描こうとすると失敗するというのはこのシリーズでは常軌です。私が好きな『魍魎の匣』においては、「匣」に象徴される個人的な欲望、小さ(いながらも異常)な体験からなる妄念が重要な役割を果たしたのでした。動機は小さい方がいい。犯人にとっては決して小さくはないんだけども、主に読者の目からなる全的な視点から見れば、小さい。小さいがゆえに驚かされたりもするわけです。そしてその小さいのがカシャーンカシャーンと音を立てて嵌り込んでいく。何とも小気味いい場面です。

というところが、今回おもしろかったという感想。読んだ人はみんな共感してくれるはず。

ここからは、どちらかというとおもしろくない。おもしろくないのに目を逸らすことができない。

大鷹というキャラクタです。こういう人物をしっかり書くというのが力量なのだと思いますが、ミステリにおいては必ずしも求められることではない。なんとも贅沢な話です。

阿呆ではないけど空気が読めない。頭は悪くないのにとんちんかんな発言や行動を繰り返して、相手を唖然とさせる。意識を表層しか活用しないからです。こういう人は現実にもいますよね。学校や職場といった世間に、確実に一人はいます。いつでもどこでも一人はいます。なのに誰もが自分は大鷹ではないと思っている。もちろん私も思っています。私は大鷹ではありません。

のだけれども。

人は常に合理的な判断を行うわけではない。合理で動いたつもりが、何の理にも合ってなかったということは、現実においても多々ありまして、そのようなことをミステリで書くのには、必要以上の説明が必要となってくるでしょう。大鷹の人となりについて、また、思考回路の働きについてくどいくらいに描写されていたのは、作者の配慮なのでしょう。大鷹も大鷹自身の合理で生きているのだということです。

ただ、世界はおろか自分自身の理にすらかなわず、もうただただ疲労していたとか怠慢であったとか色んな事が重なって何も考えられなかったとか、そういう言い訳しかできないことがあります。比較的自覚的な大鷹と言える状況かも知れません。しかしそれは自覚的であるがゆえに非合理です。大鷹部分を否定せんがために、個性の統一に齟齬が生じるからです。そんな種類の非合理を、ミステリというルールで書く事は可能なのでしょうか。すでにミステリじゃないのかな。変な人が変だったり変じゃなかったりするような、やっぱり変。

あとこれは余談ですが、関口が妙にまともでしたよね。関口に感情移入している身としては調子が狂う。

さらに余談を重ねますが、青木と郷嶋が対決するシーンで泣いた。通勤電車で人目を憚りながら泣いた。あのシーンで感情を揺すぶられるのはわりとわかりやすいと思うのだが、泣くという表出の仕方は間違っているだろう。もう少し身体をコントロールできるようになりたい。

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