虚学と実学

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人が生きていくのには虚学が必要です。虚学というのは具体的に名指すのは難しいのですが、例えばライプニッツとか、書肆風の薔薇とか、そういった類いの羨望であると私は思います。私は、人は虚学のみで生きていくのだと23歳頃までは信じておりました。実学というものがこの世に存在することを知らずにいたのと、あとこれは臆見以外の何ものでもないのですが、90年代という空気がそれを許していたのです。実学というものの存在を知るきっかけとなったのはコンピュータです。私は23歳の頃に生まれてはじめてパーソナルコンピュータとの対面を果たしたのですけれど、なぜコンピュータが私に実学を知らしめたのかについては、まだうまく説明できないので、今日のところは触れません。ただ、虚学だけで生きていくのは困難で、実学をも吸収していかねばならないのだと、23歳の私は強く意識したのでした。

実学とは何か虚学とは何か、抽象的にといいますと、実学とはみんなを幸せにして誰かを不幸にする実であり、虚学とは誰をも不幸にはしないが自分だけが幸せになる虚です。だから私は人類全部が虚学をやればいいと思っておりました。人類が全部、虚々諤々のうちに、虚学をやれば幸せだと思っておりました。でもそんなことは無理なのでした。人類は私が思っているほどには、虚学というもののもたらす多幸感を享受しないのでした。残念だ。だから、実学が必要とされてきた。

実学というのは比較的容易に名指すことができるもので、具体的にいいますとゲーム理論です。ゲーム理論こそが実学であると、今年に入って知りました。今年に入って知ったのですが、忙しくもないのに忙しいふりをしているうちに10月にもなってしまい、慌ててゲーム理論をやさしさでひも解いた読み物を入手したのでした。実学をやらないと生きていかれない。われわれはパンを食べずには生きていかれないし、パンがなければあんパンを食べればいいし、アンパンマンを呼べばいい。噛ればいい。

やっと、本題に入られます。これくらい言い訳しないと入られません。

本書はゲーム理論を最も簡単なことばで説いた一般書です。簡単とはいえ、インセンティブとかコミットメントとかシグナリングとか、もう毎週毎週耳にするから何となくわかったような気にはなっていたけど、じゃあ何?って聞かれると何も答えられないような専門的な概念について、しっかり抑えてくれています。専門的?専門的です。コミットメントなんて、まず、日常生活では使いません。耳にはしますが、口にはしません。少なくとも私は何かにコミットメントしていることを意識しながら生活する環境に馴染んでいません。馴染んでないから、実学の存在をすら知らなかったのですよ。

あらゆる具体例をスルーして私の理解したところをまとめさせていただくと、戦略的環境においては自分だけが合理的なのではなくて相手も当然に合理的なのであり、相手は戦略的に最も有利な方法で攻めてくる、ということを念頭において、相手は戦略的に最も有利な方法で攻めてくる、ということになります。ここで悲しいのは、自分だけが合理的なのではない、ではなくて、自分だけが合理的でない、ということなのですね。そうなんです。相手は世界は戦略は合理的であるにもかかわらず、私は合理的ではないのです。そこがつまり、みんなを幸せにして誰かを不幸にする、その誰かというのは私に他ならないということです。ゲーム理論は実践されない、ということなのです。

いや、厳密に言うと、ゲーム理論は、理論抜きでは実践されない、ということです。そこに救いを見出したいです。たぶん数学とか経済学とか囚人とかをもっと勉強すれば、実践されうるのではないかと思うのです。というのはつまりルールだから。合理的ではない人でも、ルールを適用することはできるはずです。赤信号を渡っては行けない理由を知らなくても赤信号を渡らないのと同じです。道路交通法に書いてあるからです。てなわけで、もう少し読んでみようかなと思いつつ、書店の専門棚を前に頭を抱えるのです、無理だ。何かもう、数式が無理。と拒絶している時点で悲しい実学。

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