心変わり

Posted on 月曜日, 11月 21st, 2005 at 1:06 AM

心変わりのタイトルが書店に積まれているのを見てクラクラしました。あらすじ紹介はやらなくても、やらなきゃならないのは「きみ」。「きみ」についての気分を述べることでしょう。

「きみ」というのはもちろん読者のことではありません。君は45歳になったばかりではないし、頭が薄くなりはじめてはいないし、アンリエットの髪が黒いのを思い浮かべたりはしない。スカベッリ商会とは関係ないし、ローマに愛人はいない。だけどもその男は「きみ」と呼ばれるのです。
列車内での「きみ」の心変わりがあまりにもスムースなので、「きみ」はその描写のための方便だと以前の私は思っていましたが、素直に読むならば「きみ」というのはつまり誰かに「きみ」と呼びかけられている主人公以外の何者でもないですね。「きみ」が主人公であるのはいいとして、では「きみ」と呼びかけているのは誰なのでしょう。誰でもないのでしょう。

世界に投げ出された現存在が「どこから」を問えないのと同じで、「誰が「きみ」と呼ぶのか」も、「誰でもない」としかいいようがないのでしょう。「誰でもない」というのは「誰でもない誰か」ですらありません。もちろん作者でも語り手でもビュトールでもありません。読者であるあなたでもないはず。ただ「きみ」は、「きみ」と呼び出されているのです。そしてこれは手法として確立されています。

確立されているにも関わらず、類書が見られないのは何故でしょう。それはつまり、タイプしながら消えていく、はじめから存在しないものとして消えていくことの困難さなのでしょう。今さらいうまでもありませんが、この「消える」とか「存在しない」とかも比喩に過ぎませんので念のため。ことばってのは本当に不自由ですね。

「きみ」が「彼」と呼ばれる時間帯に、彼に語りかける声というのは誰なのでしょうね。ただの彼自身なのでしょうか。だとすると「きみ」と呼ぶのも「きみ」自身だと説明したくなりますが、簡単に済ませようとするな。

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