神々の対話

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今この時勢に岩波書店としてこれを版元品切れにしておいてどうするの、と泣きたくなりました。
まだあと10冊ほど未読のうちに言うのは早まり過ぎかもしれませんが、岩波文庫の本ジャンル中ベスト1だと思います。

【表題作】
ずっと尾張(名古屋)方言における「馬鹿者」だとばかり思い込んでいた「たわけ」にこんな用法もあったとは…
詳しくは大きめの国語辞書等をご参照ください。

【併録「トクサリス」】
友情について、各自5つの逸話をギリシャ人ムネーシッポスとスキタイ人トクサリスが披露し合うのですが、これがギリシャの友情だよとしてムネーシッポスが語る5つには持ちつ持たれつな話がひとつもなく、ことごとく、片方が相手にすべて(財産とか人生とか命とか)を捧げ尽くすパターンばかりなのは何故なのでしょうか。
それもまた「友情」というのならば異論はないのですが、友情とはつまりそういうものとまで言われてしまうと、これはどうもなにか、友情とは別のものに見えてくるのですが。

そしてトクサリスが紹介する実例の方も、なんだか代わり映えしない…と思いきや最後の話で見事にすくい投げを食わされました。
火災からの救出で妻子よりも友人を優先させた男が、非難の声に対して答えた台詞。

(p.234)後になって他の人がアバウカースを責めて、何故子供だの妻だのを見捨ててギュンダネースばかりを救け出したのか、と訊ねたとき、彼は答えて、「だが子供というものは、また後々に出来ることもあろう、それに果たして立派な者になるかどうかも確かではない。然るに長い月日を費してもこのギュンダネースみたような友人は、またと見つけることは出来ないだろう、僕はあの男の友情は何度となく身に沁みて験し知っているのだから。」

たしかにこれは友情としか呼びようがない。
生き物としての(繁殖優先)ロジックから見事に脱線。

【併録「歴史は如何に記述すべきか」】
ひょっとして新訳版の準備中なのかもしれませんが、自虐とかオヤジ慰撫とか喧しかった時期に重版かけて欲しかったなぁと残念です。

(p.273)阿諛追従を以て現代の人々を喜ばすために書くべきものではなく、真実を以て未来の希望に向って書くべきものである。これが正しい歴史を書くための規矩であり準備である。

現役やご隠居はひとまず置いておいて、次の世代が閉塞感につかまらないこと、が「教科書」の要点だろうと考えている身としては、「親」になったら必読の1作だと思います。

【併録「無学なる書籍蒐集家に與う】
自分への戒めとして引用したい箇所だらけです。

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