Archive for 1月, 2008

人間知性論 (三)

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「我思う」だけでは充分ではない、という話が懇切丁寧に続きます。

白版と青版(哲学)の区別をどのへんにつけるかということを考えながら読み進んでいるのですが、デカルトはたしかに青版がしかるべきで、ロックはやはり白版だなと、思えてはきたものの明確な線引きはまだ見えてきません。

私にとって青版はしばしばわけが分からない。変に利用されると怪物に化けるので要注意ではありますが、それ自体として怖いと思ったことは殆どありません。
白版は、厳しい。でも、内側に入れるなら、わりと安心そう。内側に入り損ねたら、手強そう。
食い違ったときに対話の余地があまりないのはたぶん青版です。
無視しておくと怖そうなのは白版でしょうか。

(p. 219)   その人たち〔の書物〕を読んで、もしその人たちが適正な明晰さ・明快さをもってことばを使っていないなら、脇へ置いて、その人たちになんの害も加えずに私たち自身で次のように決めてよい。
 もし君が理会されようと努力しないなら、無視されて当然だ。

「厳しい」というのは具体的には、このあたりとかです。

(p. 280)   商人や賛美家たち、料理人や洋服屋たちは、それで自分たちの日常事を処理することばを持っている。で、哲学者・討議者たちも理解したい気があり、明晰に理解されたい気があれば、そうできた〔すなわち、正確なことばをもてた〕と、私は思う。

「安心そう」というのは、このあたりです。

人間知性論 (二)

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(p. 403 訳者注一六五)  発酵パンの製法は古代エジプトで工夫されたが、ロックの時代には食品として普及していなかった。

ウィキペディア(→パンの歴史)を参考に推測すると、17世紀末頃は固パンあるいは粥が一般的だったのしょうか。
ふわっと柔らかいパンの定着はわりと最近のことなのだなと、ちょっと意外でした。

何年か前にイギリスで発売された耳無し食パンのニュースには、幼少期から耳だけを好んで食べていた身として震撼させられ、大きな流れとしての固重→柔軽潮流はここまで及んでくるのかと恐ろしくなりましたが、そもそも固→柔傾向はそれほど昔に始まった波ではない、のか…?

人間知性論 (一)

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くねくねした前書きは日本の十八番だと思い込んでいました。反省。
やはり大英帝国(当時)は伊達ではないのでした。
国産物でも中国産でも見たこと無いレベルの、もってまわりかげん。
威圧感を伴った「謙遜」の実例が読めます。

プラトーノフ作品集

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5歳から10歳くらいだった頃の、ひもじかったことと、蛇やら野犬やら蜂やらとの格闘に必死だったことを、おそろしく鮮明に思い出しました。(「ジャン」)
飢えや、ただこちらが傷つけられないために他の生き物の動きを止める、という場面を読むのが初めてというわけではもちろんありません。題材としてはおそらくポピュラーで、これまでもいくつも目にしている筈です。
これはしかし別格でした。
報道写真よりも強烈でした。