Archive for 6月, 2005

ぶどうとバニラアイス

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これは冷凍してもそれなりに、ぶどうの味が感じられました。口の中でアイスと混ざり合うとまたなかなかの美味しさです。シャーベット状の食感がいかにも夏向きでしょうか。

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さまよえる湖(上)

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それなりに大掛かりな調査隊なので、食糧はもちろん持参していますし、料理人も同行しています。コーヒーはほぼ毎日のように飲む、ココアやマーマレードも登場します。ほかにも菓子あり肉だんごありパンとバターあり野菜スープあり。
ごくたまに、↓このような記述も出てきますが

藺草(いぐさ)の柔らかい茎を集めてくる。これは春の若芽の下の部分で、すばらしい味である。いわば野生のアスパラガスといったところか。

砂漠とはいえまるきりの人外魔境ではありません、現地の人々から羊やら鵞鳥の卵やら小麦粉やら魚やらを恵んでもらったりもしています。
これらはちなみに1934年のことです。

以下、ほぼ65年ほど後、この本の現場から約260㎞南西での話です。

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さくらんぼとバニラアイス

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さくらんぼは、冷凍するよりも生で食べるほうが断然おいしいです。

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論理哲学論考

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思うに、無意味とナンセンスの違いをしっかり把握しておけば、かなり理解できるのではないかと。

無意味は例えばトートロジー(pならばp、かつ、qならばq)とか矛盾(pかつpではなく、qかつqではない)とかのことで、トートロジーと矛盾はそれ自体何も語らないことを示しています。というのも前者は可能な状況をすべて許容し(p、qが真だろうが偽だろうが恒に真)、後者はまったく許容しないからです(p、qが真だろうが偽だろうが恒に偽)。[4.461-4.462]

トートロジーは論理空間の全体を現実のためにゆずり、矛盾は論理空間から現実を完全に排除するため、現実を規定する上ではどちらも無意味ではありますが、ナンセンスではありません。ナンセンスは論理空間の向こう側にあります。 世界とは論理空間の中にある諸事実のこと、世界は諸事実の総体なのです。[4.463,序]

つまり「論理空間⊃世界 = 事実のすべて」ということになりますね。「世界として成立したもの + 成立しなかったもの」の外側にあるのがナンセンスなのです。訳注の例示を援用すると、「論理空間:富士山は地球上でいちばん高い」「世界:富士山は日本でいちばん高い」「ナンセンス:富士山は2で割り切れる」ってことになりますね。

なんだけど。富士山は2で割り切れうるんじゃないの? 富士山が「静岡と山梨の間にそびえる件の山」ってことは「世界」でいいと思うんだけど、富士山が「4である」ってのは「論理空間」じゃなくて? と思っちゃうのは「名」を誤解しているから? 富士山ってのはあくまでもアレそのもののことであり、富士山っていうシールのことではない? しっかり把握できぬ。

もうちょっといろいろ読んでみるか。ひとまず保留します。

いずれにせよ、「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」ということは、言語が引いた限界線、その外側はナンセンス。世界がいかにあるかについては、たいした問題ではなく、世界があるというそのことが神秘なのです。だから、神、という意味での神が降臨することはありえず、また、神について語ることは、「神は神自身と1以外に約数を持たない」と語るのと同じぐらいナンセンスなのです。[6.432-7]

あぁでもやっぱり。最後にそれ(ヴィトゲンシュタインの命題)がナンセンスであると気づく[6.54]ってどういうこと。

カラマーゾフの兄弟 第4巻

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グルーシェンカが監獄にいる長男ドミートリィに差し入れする「肉入饅頭(にくいりまんじゅう)」は、おそらくピロシキ、これはまだ容易に見当がつくとして、
問題は、終盤の葬式に出てくる「薄餅」です。なんでまたこの漢字に「プリン」とルビが付くのやらさっぱり要領を得なかったのですが…

(→ロシア料理における薄餅とは何ぞや)

林檎ジャム添えバニラアイス

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いささか過剰ぎみの取り合わせが続いたので、ひさしぶりにあっさりと。

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キャラメルコーン・バニラアイス味のアイス

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あまり頻繁にバニラアイスをこしらえているせいなのか、どうも私はバニラの匂いに麻痺しているようです。店員Kによるとちゃんとバニラ風味がついているらしいのに、どうしても、どんなに鼻を近づけても、コーンスナックの香りしか感じられません。

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(→メーカーHP:東ハト/キャラメルコーン・バニラアイス味)

ニセ記憶はいかにして芸となるか

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どうでもいい記憶なんてものは存在しない、とフロイトは言う。「憶えていること」について、なぜそれを憶えているのか必ず意味がある、と。以下、「隠蔽記憶について」(『フロイト著作集 第6巻』所収)より。

幼時記憶を語る38歳の男性。

野原が見える。たくさんの黄色い花が咲いている。明らかに普通のタンポポだ。野原の向こうには農家があり、農婦がおしゃべりをしている。
野原では三人の子供が遊んでいる。幼い頃の私と、年上の従兄とその妹。妹の方は私と同い年。
私たちは黄色い花を摘んでいる。いちばん美しい花束を持っているのは少女で、私と従兄は彼女の花をひったくる。彼女は泣きながら農家のほうへ駈けて行き、農婦から慰めに大きな黒パンをもらう。
それを見て私たちは花を投げ捨て、農婦の元に駆けて行き、同じようにパンをねだる。もらったパンは記憶の中ではとてもおいしく、幸せのうちにこの場景は終わる。

この男性は、実はフロイト自身である。一見、何でもない(花を奪う、パンをねだる)幼時記憶が彼にしつこくつきまとっていたのはなぜか。

この記憶は幼児期から繰り返し思い出されたものではない。17歳のときに彼の故郷であるモラビアの小都市(フライベルク)を訪問したのがきっかけとなり、思い出されるようになった。彼は両親の友人であったフルス家に泊まるが、その家の娘で幼なじみだったギセラと再会し、彼女に恋をしてしまう。しかし、彼は一言も話しかけることができなかった。そこで彼は、もし自分が幼少の頃に故郷を去ることなく、ギゼラとともに育ったならば、彼女と結婚することができていたのではないか、という妄想を抱くに至る。

この初恋話は後に、腹違いの兄であるエマヌエルの娘、パウリーネとも結び付く。

フロイトの父とエマヌエルは、フロイトを実業に就かせるために、パウリーネと結婚させる計画を持っていたが、その思惑に反してフロイトはウィーンで医学生となる。ウィーンでの貧乏生活。彼はやがて、パウリーネと結婚して実業家になるというすでに失われた機会を妄想するようになる。

二つの空想が投影され、一つの幼時記憶が生まれる。ギゼラから奪ったタンポポの黄色は、パウリーネが好んでよく着ていた服と同じ色だった。もし故郷に残ってギゼラと結婚していれば…。父の計画どおりにパウリーネと結婚していれば…。つまり「花を投げ捨ててパンを手に入れる」というのは、「学問を投げ捨てて実業家になる」ということの偽装である。

そうなると例のタンポポは幼時の記憶ではなく、彼の空想に過ぎないのではないか。

そもそも記憶の陳述に保証というものはない。しかしフロイトは、この記憶は本物だという気がしてならないと言う。

彼が無数にある場景の中から黄色いタンポポを選んだのは、それが彼にとってはギゼラとパウリーネという二つの空想を述べるのに最も適していたからである。

記憶は何でもかんでも呼び出すのではなく、与えられた印象の中から一定のものだけを選択する。その選択基準が幼児と大人とでは全然違うように思われるが、必ずしもそうではない。幼時記憶にどうでもいいようなものがあるのは、実はある「ずれ」の結果なのである。どうでもいいような幼時記憶は、他の本当に重要な印象の代用に過ぎない。そしてこの、どうでもいいとしか思えないような幼時記憶を、フロイトは「疑似記憶」と呼ぶ。

やっとたどり着きました。この「疑似記憶」の「ずれ」が、これと似ているのではないか、という話です。

つまり、本当に大事なことは隠蔽されている、ということです。

ど忘れにせよ疑似記憶にせよ、想起行動の故障という意味では同一の行為です。では、なぜ、故障するのか。そこに抑圧があるからです。いや、ここで、抑圧って言っちゃうから、精神分析はあやしくなるのですね。単に、「出てこない」でもいいと思います。

この「出てこないもの」を出す技術。そしてなぜ「出てこない」のかを分析する技術。これの取っ掛かりとして、フロイトは「夢」を持ち出します。夢が荒唐無稽であるにも関わらず、妙に現実と呼応するのは、現実を隠れみのとして、出したくないものを隠そうとするからです。寝ながら笑っている人は、みている夢ではなく、隠そうとしているものがおもしろいから、笑っているのです。その隠そうとしているものを好きなように出すことができれば、芸ですね。それは芸ですよ。

というわけで、「精神分析は芸なんです」が今日の結論でした。

トリストラム・シャンディ (下)

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未完だというのは訳者による前書きにあったので知ってはいたのです。が、よりによってあんなところで終わるか。牛で終わるか。モウケッコウ、って駄洒落か。

結局トリストラムは単なる語り手に終始して、主には叔父トウビーの恋物語でした。総天然色のトウビーと存外に世間擦れしている伍長のコンビは絶妙ですね。向かうところ敵なしです。

で、下巻の読みどころは、ボヘミア王とその七つの城のお話。ある種の基本です。ドリフ的なものに通じるかも知れません。

返す返すも未完が惜しい。トリストラムの生涯がちっとも出わってこない。他のキャラクターも活かす余地が残ってしまった。漱石でもジョイスでも誰でもいいから、続きを書いてくれないかなぁ。

チョコチップクッキーのアイスサンド

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分厚すぎて食べづらくなるかと思いきや、それほどでもありません。アイスを挟んで4時間ほど再冷凍しましたが、クッキーはサクサクのままです。

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(→メーカーHP:ブルボン/チョコチップクッキー)