Archive for 5月, 2005

シルクロード(上)

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テントの内部はスウェーデンと中国の国旗で華やかに飾ってあった。

最初はとくにひっかかることもなく、水色地に黄十字の旗と、赤地に黄星の旗がヒラヒラしている場面を想像していたのですが、よくよく考えてみると1933年当時の中国はまだ五星紅旗の制定以前。となると…(→おそらく当時における中国国旗)

ひょっとして劇的に違った彩りの光景になるのかとちょっと期待したのですが、それほどでもありませんでした。

カンパンのアイスサンド

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アイスとの味の相性は良いと思います。ただ、2個のカンパンをひとくちに、では、やはりちょっと食べづらい。のせながら食べるのが無難です。

カンパンのアイスサンド

カンパンのアイスサンド

→メーカーHP(三立製菓)

冥途・旅順入場式

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夢というものには基本的に落ちがない。なぜだかは分からないがおそらく落とす必要がないからであろう。その意味においては冥途の各篇は夢的なのであるが「豹」には、見事な落ちがついている。これを予想できる人がいたら挙手願いたい。こんな夢を見たらショックで起きられなくなる。いや、こんな夢は見ない。途中までは夢だと思って安心していたが、豹は夢ではなかった。

対照的なのが「旅順入場式」の遣唐使。何がって、冒頭が、振るっている。

私は遣唐使となって支那に来た。

言うに事欠いて私は遣唐使。どこの誰やねんと。

かと思えば「件」。件になってしまったらしいが予言はできない。そもそもできる気がしない。この無力感は覚えがち。現実にできないことが、夢にできるはずがない。夢は荒唐無稽なものだと、見くびってはいけない。ああ、リアリズム。

注)閒は門構えに月です。

贋金つくり(下)

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エドゥワールが自ら執筆中の『贋金つくり』について云々する時、読者は「じゃあこの『贋金つくり』は?」と問いたくなる。ジイドの書いた『贋金つくり』とエドゥワールが書いている『贋金つくり』とはどういった関係にあるのか。

エドゥワールの『贋金つくり』では、ジイドの『贋金つくり』における現実の事件について書かれている(または書かれていない)。ジイドは事件について多くの視点から描いているが、もしエドゥワールが同様の手法を用いて書いているとしたら、エドゥワールの読者に対するジイドの読者の優位性というのはいかなるものになるか。もしかすると、「一歩うしろに下がっている」と感じるこの立場のあやしい「現実感」のみなのではないか。

われわれのうしろには本当にもう何もないのだろうか。簡単にくるっとひっくり返ってしまうのではないか。エドゥワールの中にジイドが登場してしまうのではないか。誰かが糸を引いているわけでもなく(誰もが自分を神だと信じている)、ただこの「現実感」のみが、辛うじて現実を支えているだけなのかも知れない。

ココナッツサブレのアイスサンド

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ふたむかしくらい前にときどき食べていた菓子です。パッケージは当時とほとんど変わっていないような気が…そしておそろしいことに、20年以上前より実売価格が安くなっているような気が。

ココナッツサブレのアイスサンド
ココナッツサブレのアイスサンド

→メーカー(日清シスコ)HP

スペースアイス(ストロベリー)

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愛知万博みやげに買ってきました(於:三菱未来館)。アイスクリームを乾燥させたものだそうで。
見た目の質感と最初の歯触りはラムネ、口溶けはマシュマロに似ています。

050523.jpg

大転落

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監獄送りになり独房で思いがけない安穏を得た主人公ポール・ペニーフェザーの食事:ココア、パン、ベーコンと豆

この「豆」がどの豆を指すのか(英語原文は未確認)…ベーコンに合わせて旨いのはなんといっても空豆でしょう。
ぼちぼち旬のはずなので夕飯のおかずにしたいところなのですが、近所のスーパーにはいっこうに姿を現しません。ここのところのみょうな涼しさのせいでしょうか。

伝奇集

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当たり前のことではあるが、バベルの図書館は現実存在する。

図書館は真ん中に大きな換気口がありおそらく無限数の六角形の回廊で成り立ち、永遠を超えて存在し、そして周期的である

図書館が存在するのは、それが神により創造され、その神からすべての属性を継承するからである(「すべての」と書いたが、神にとって「すべての」は余計である)。むしろ不完全な司書である人間の方が、存在し難い存在なのであろう(余計なものは不完全であるが、不完全ゆえに余計なものを欲する)。

図書館の存在を否定したいのならば、無限に薄いページの無限数からなる「一巻の書物」を出版する他ないだろう。ただしそれには二つ問題がある。

  1. 薄いページに印刷するという技術的な問題
  2. ただ一冊だけ出版するという商業的な問題

いずれも解決(素材、印刷所、版元の確保)が困難なだけに、図書館の存在が不愉快に思われる。偶然の産物でしかない司書の苛立ちなのかも知れない。

愛知万博リポート

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「博覧会」と名のつくイベントに実はまだ一度も行ったことが無い、という店員Kにのせられて、愛知万博(→公式HP)へ行ってきました。

めあては、いったいどういう事情なのか推定人口と政府発表人口とのあいだに3倍強もの開きがあるブータン館と、

●さばサンド(メルハバ/グローバル・コモン2)

鯖サンド

:バゲットのようなパンに鯖の塩焼きとキャベツを挟んだものでした。温かい状態で食べた限りでは、べつに生臭くなどはありません。なかなか美味です。サイズが大きい。バゲット2分の1本分に鯖も2分の1尾分あります。

そして●トルコアイス(同メルハバ)でした。

トルコアイス

トルコアイスのび

ところがしかし現地には、やたら分厚くて重い公式ガイドブックだけではまだ伺い知れなかったことが…

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コルタサル短篇集 悪魔の涎・追い求める男 他八篇

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「続いている公園」は本を読む人なら必ず一度は空想したことがある。たった2ページほどのことながら、活字と非活字とが融合する様を描ききっている。公園はどこにでも続いている。

「夜、あおむけにされて」は夜を眠る人なら必ず一度は体験したことがある。夢にしては妙だった、と思った朝にはもう取り込まれている。支離滅裂な現実はつまり理路整然とした夢の裏側である。

「南部高速道路」は車を駆る人なら必ず一度は走ったことがある。車は人そのものを表すし、そこから生活が始まっても、何の不思議もない。その生活が一転、崩壊するのは疾走。代えがたい爽快感である。

そして最後は火。じっと見つめていると、その炎が世界で何を焼き尽くしたかがみえる。これから何が焼かれるのかも、もしかすると見えるのかも知れない。