Archive for the 緑版 Category

中谷宇吉郎随筆集

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まさか緑版でも、「この1冊があれば、あの作家の本はもうぜんぶ手放してもいいかも」ということが起きるとは予想もしませんでした。
なにかこのところ立て続けに岩波文庫恐るべしと書いているような気が。
大量出版大量消費の敵であることはどうも確かなようです。

しかしそれはそれとして、内容や文体とは別のところで、時代の流れを感じる箇所も(少しだけ)ありました。

(p. 350 「立春の卵」) ゆでた卵が簡単に立ってくれれば、何も問題はない。大いに楽しみにして待っていたら、やがて持って来たのは、割れた卵である。「子供が湯から上げしなに落としたもので」という。大いに腹を立てて、早速買いに行って来いと命令した。細君は大分不服だったらしいが、仕方なく出かけて行った。卵は案外容易に手に入ったらしく、二つ買って帰って来た。もっとも当人の話では、目星をつけた家を二軒も廻って、子供が病気だから是非分けてくれと嘘をついて、やっと買って来たという。大切な実験を中絶させたのだから、それくらいのことは仕方がない。

(p. 224「サラダの謎」)そこで妻がレタスをつくることになった。レタスなどつくってみれば、何でもないもので、デパートから買ってきた種を蒔き、油かすを入れておけば、結構立派なレタスが出来た。当時の札幌は案外ハイカラな街であったらしく、ヴィネガーもオリーブ油も、簡単に手にはいった。

ところで、ヴィネガーはともかくオリーブ油はもちろん輸入品であっただろうと思うのですが、これ、どこからの輸入品だったのでしょうか。空輸便の時代ではないし、やはりロシア経由か。横浜港からはるばる札幌まで??

戦前の日本はすでに結構なハイカラだったと、そこかしこで読んだ憶えはありますが、ここまでだったとは。驚きました。

或日の大石内蔵助・枯野抄 他十二篇

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「河童」のような作品をまた読んでみたいのだけれど、この1冊には無いか…と諦めて読み終える間際に。
ありました。
最後の1篇、「馬の脚」です。

大導寺信輔の半生・手巾・湖南の扇 他十二篇

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色鮮やかさの気配はなく、効果音が鳴っている様子もせず、しかし淡々と平穏ではなく、陰々と滅々な1冊でした。

蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他十七篇

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長いこと白版続きだったのが久しぶりに小説を読んだせいなのか、何ヶ月ぶりかでスペクタクルな夢を見ました。極彩色で活劇調の。
100年くらい前の東京やら大昔の中国やらを舞台に妖怪も登場する短編あれこれの詰め合わせですが、寝る前に読んだ2〜3篇がごちゃ混ぜになってその晩の夢になる、そんな具合です。
たまにテレビに触れると見たことないCMばかりで目が釘付けになるのとちょっと似ているかもしれません。

あまり立て続けに読むと目の奥がチカチカしてきそうなため、次はまた白版に戻ろうと思います。

東京日記

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東京日記といっときながら全然日記ではない。「日常の中に突如ひらける怪異な世界」ではなく怪異な世界そのものだ。

私は二、三日前からそんな事になるのではないかと思っていたが、到頭富士山が噴火して…

こういうことをしれっと書いて、奇を衒うところのないのが迫力だと思う。世界そのものなのだと思う。

逆に、平凡だと油断して膝を抜かれるのが「柳撿挍の小閑」。箏を教える盲人の心情など機微に疎い私の埒外と安心しきっていたら、俄然と想像を展開される。73ページの最終行で。無理だこれはオレには引き受けられない。引き受けられないが実際問題として多分すでに引き受けている。こういう気持ち、10年前にはわからなかったなぁ。5年前でもあやしいだろう。そういった種類の、経験じゃなくて経年なのだ、意気地がなくて御免なさい。

倫敦塔・幻影の盾

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『坊っちゃん』→『三四郎』→『こころ』と読み進んで、どうにも夏目漱石は性に合わないようだと後を放棄しかけていたところが、本書198頁の半ば(「趣味の遺伝」)を過ぎてにわかに、ひょっとして読みどころが悪かっただけかもしれないと思い直しました。

雪国

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福田和也いわく「安全そうに見えて怖い」(『悪の読書術』江國香織の章参照)の、年寄りにもわかりやすい具体例を挙げろ、ともし隠居の父に言われたら、『雪国』の葉子、と答えるかもしれません。
見ようによっては林真理子作『anego』の原型とも言えそうな。

ともかく、驚きました。
あまりに「やんらしい」とか「おそがい」から驚いたのではなく、不意をつかれました。
有名な冒頭部分だけ、大昔に国語便覧でおぼえたきりで、他の川端康成作品も読んだことが無く、こういう小説とはまったく思いもしませんでした。

こころ

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アイスクリームとチョコレートはいつ頃から日本で食べられ始めたのかを知ることができたのは収穫でした。

啄木歌集

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なまじかな恐怖小説よりもじわじわと寒気をさそいます。

「ぢつと手を見」たり「泣きぬれて蟹とたわむる」ばかりの、さめざめと、しかしとりあえずは人畜無害のイメージしか持っていなかったのですが、

p.15 
愛犬の耳斬りてみぬ
あはれこれも
物に倦みたる心にかあらむ

こんな歌も詠んでいたとは…
学校の国語授業では採用されていなかった(当たり前か)不穏さがチラチラと、全体としては気弱な調子から垣間見えるのがよけいに怖い。

羅生門・鼻・芋粥・偸盗

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キレのある時代劇ばりにエンターテイメントしている「偸盗」も面白いのですが、

p.34 一体旧記の著者などという者は、平凡な人間や話に、余り興味を持たなかったらしい。この点で、彼らと、日本の自然派の作家とは、大分ちがう。王朝時代の小説家は、存外、閑人ではない。

「芋粥」のこのくだりには。

’超河童’のときもそうでしたが、この唐突にあらわれる、象が踏むような容赦ないひとこと。

カラスの糞は白というより赤茶色に近いのでは、なぞという瑣末な疑念はたちまち吹っ飛んでしまいました。