Archive for the 評論/随筆 Category

復習

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自分だったらアラブ人を撃つか、という問。撃つ、と回答する。撃つ他ない。撃たない、自分には撃てない、と回答したいところだが、やはり撃ってしまうだろう。4〜5発は撃つだろう。もしかすると撃ち方がわからないかも知れない。

太陽が出ていなかったらどうか。太陽が出ていなかったら撃たない。

アラブ人でなかったらどうか。アラブ人でなくても撃つ。私には植民地の問題は関係ない。

母さんが死んでいなかったらどうか。母さんが死んでいなくても撃つ。母さんが関係するのは裁判であり、撃つことには関係ない。

母さんを埋葬した日と同じ太陽だったから撃ったか。同じ太陽でなくても撃った。太陽であれば撃った。

太陽のせい太陽のせい言うから不条理に思えるけど、正確には、

太陽が照った→アラブ人がナイフをかざした→刃が陽光を反射し、光がムルソーの視力を奪った→だから撃った

のである。これだったら、ムルソーでなくても撃つよ。4発撃つかはわからないけど撃つ。

感情移入できる読者はすでによそもので、よそもの同士友だちになることは考えにくい。ムルソーに恩赦があって死刑を免れたらいいと期待するのは構わないけど、期待させるようなことを書くのはどうかと思う。

司祭の憎まれ役ぶりに感謝という発想は素晴らしいと思う。この司祭にはむかついてむかついて、むかつきーと叫びながら握った右のこぶしを突き上げることしかできなかったから。私には。ムルソーが興奮するのを見たかったわけじゃないけど、見たかった人もいるのだろう。

あぁ、でも。『よそもの』を読んで、「自分はよそものではない」と思える人間は、一体どんな人間なのかと思うよ。こんなことを書きたくはないけど、そんな人間がいたら奇異の目で見る。たぶんそんな人間は私のことを奇異の目で見るだろうから。一方的に見られるのはつらいから。

人間・世界・男性/女性

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「SFとミセス・ブラウン」。これはたぶん日本では「ミステリとミセス・ブラウン」と置き換えられ、かつて新本格批判に用いられたのでしょう。すなわち「人間が書けてない」。この「人間が書けていない」で、SFのステロタイプが批判されます。確かに「売れればいい」式の商業主義を擁護する必要はないとは思いますが(擁護しなくても生き延びるので)、あえて「人間を書かない」小説が成立するのかという追究も、力量のある人には可能なのではないでしょうか。そもそも「小説=人間を書くもの」という定義があるのなら、まったく違うものを作り出してもかまわない。

ファンタジーはこの世界について書かれたものではありません。別の世界の物語です。つまり、別の世界が構築されなければなりません。にもかかわらず、本書で繰り返し主張されるのは「世界はすでにある。そこに住む人たちの言葉に耳を傾けよ」ということです。「マニア好みの設定資料集を編む暇があったら、そこにある世界に息づく人々の生き様を描け」ということです。なるほど。でもね。やっぱり素人は、どこにあるのよそんな世界、と思っちゃうのです。あなたの頭の中にあるその世界は、どこからやってきたのですかと、問うてしまうのです。巧みな人は、そのへんを答えてくれませんね。すっとぼけかたも一流です。「考えちゃダメ」。

「性は必要か」では、『闇の左手』が引かれつつ、人間を書くことの新たな試みが提示されます。少なくとも私にはそう思えました。『闇の左手』はたぶん、セックスを無効にすればジェンダーも無効になるか、という実験なのではないでしょうか。憶測ですが。『闇の左手』はぜひとも読んでみたいと思いました。私自身はセックスとジェンダーには緩い相関がある、のでは、なかろうか、ということぐらいしかわかりません。これに関連して、私の恥を晒しておきます。

そう、私はアーシュラ・K.ル=グウィンの作品を読んだことがないにもかかわらず、彼女を男性だと思い込んでいたのです。これは偏見以外の何ものでもありません。つまり私には、彼女のファーストネームをイニシャルにするという「検閲」を行った編集者を、批難する資格はないわけです。

恥かきついでにもうひとつ。総称代名詞の話です。「英語における総称代名詞は【he】なので、両性具有であるゲセン人も【he】と呼ばざるをえず、どうしても男性のように見えてしまう。日本語には【彼/彼女】を表す(つまり性別を問わずに使える)代名詞があるそうで、うらやましい」というようなことが書かれているのですが、これって、何のことでしょう? そもそも、日本語における「主語」って? ハッ!

「わたし」の読み方

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カフカの『断食芸人』を3回の授業で読み解くという趣向です。残念ながら私は3回のうちの1回目の、そのまた十分の一も理解せずに読んでいたことが判明しました(例えば断食芸がなぜ30日でも60日でもなく40日間なのか、とか。そういえば『四十日』をいつか読みましたね)。それはそれで貴重な読書だったわけですが、本書に中学生や高校生の頃出会っていれば、また違った読み方もできたのではないかと思います。まぁ一回限りが読書ではありませんし、何度でも読みたいカフカということで、それこそ飽きもせずに粘着して読み続ければいいのでしょう。

私が今回驚いたのは、私がこれまでカフカの作品に対して「寓話的」な何かを一切感じていなかった、ということです。断食が芸だったり毒虫になったり言われなく逮捕されたりアメリカに追放されたり測量技師として城に呼ばれるも一向にたどりつける気がしなかったりアリジゴクのような処刑機械で処刑されたり侵入に怯えたりするようなことは、現実には起こりません。可能性は微塵もありません。しかし、これらの作品をリアリズム小説であるかのように読んでいたという事実に、カフカの世界認識に対する圧倒的な迫力を覚えるのです。

カフカのこの迫力は、「アルキメデスの点」から世界をひっくり返そうとせんがためであると著者は指摘します。恐怖は幽霊そのものではなく、幽霊が出現する原因にある、というのはカフカ自身の言。『変身』を読んで「毒虫? 何それ? ありえねー」という感想を抱く人がこの世に存在しないのも、毒虫自体ではなく、毒虫に変身する原因にリアリティがあるからなのだと。ヨーゼフ・Kは、犬のようにくたばるべくして、犬のようにくたばるわけです。

本書標題にもあるように、カフカを読むというのは「わたし」を読むということにほかなりません。これは誰しもが必ず通過する読書体験で、その体験をより幸福なものにしてくれるのが本書であるといえましょう。私はといえば若干不幸ではありましたが、それでもカフカ以後の世界に生まれてきたことを、ただただ神に感謝するのです。

首都圏の外では…?

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著者の掲げる危機意識(子どもの機会格差が広がって固定してしまうのは、良くない)にはやはり一理有る、賛同、とはいうものの調査にあたってのサンプル数が少ない、論法が強引すぎる、というのもアマゾンのレビューで言われている通りで、星は2〜3くらいという評価が確かに妥当でしょう。

この調査、地方でも大規模に実施してみたらどのような数字があがってくるのか、それがとても気になります。

そもそも死ぬほど頑張る気になれたのは何故か

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むかしとある渡航先で「日本の(経済面での)ミラクルな成功の秘密は何だ」と頻繁に尋ねられるたびに「こっちが訊きたいくらいだ」と回答に窮していたのですが、あの当時この本を読んでいれば多少はマシな説明が出来たやもしれません。

写真や煽りのわかり易さには太刀打ちできない、のか

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最寄りのヴィレッジヴァンガードに『百年の愚行』が平積みされているのを見かけ、どうせならこれも隣に並べて欲しいなぁ、とちょっと物足りなく思いました。

それはともかく、「ペーパーバック」とはあくまでも廉価版であって、かならずしもハンディを意味しないのだなと今更ながら再確認させられることに。
間違ってハードカバーを注文してしまったのかと焦りました。
B5判くらいで約1.2kgほどもあります。凶器になるくらい鋭角なつくり。
邦訳版(山形浩生訳『環境危機をあおってはいけない』文藝春秋)のハードカバーのほうが持ち運びにはむしろ便利です。

それにしても表紙と背表紙とのギャップがすごい。

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具体的な個々の汚染事例や数値データを期待して取り寄せたものの、全編むしろ政治状勢の話。
写真やグラフはいっさい無し。あわてずにまず店頭で中身を確認すべきだったと後悔。
中国でいま活動中の環境保護団体の沿革や背景、政府のスタンス、などをざっと知るには便利な1冊です。

よその話ではなかった

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「イスラム世界(よその場所)」に取材した本として参考資料のつもりで手に取ったところが予想外にも、空恐ろしいくらい聞いたような話の連続。

特にイランの章は、固有名詞を伏せたら神風特攻隊についての分析かと取り違えそうなほど。ほかにもマルキシズム→極左に走った学生のその後などなど、全然「よその事情」ではない。

そして世代としては第二次大戦も学生運動も体験していない私にとっては、いちばん刺さったのは次のくだりでした。(注:I=インタビュアーである著者)

14p. I said,”People have shown you a lot of kindness.”
I was trying to make a point about people in Iowa, unbelievers.I believe Imaduddin understood. He said with a mischievous smile,”Good loves me very much.”

たとえば、大事に思っている人に日々ごはんをつくり服を洗い風邪でもひいたら側に付き添って、あるいは厭なことがあってもしんどくても夜遅くまで働いて働いて、それでその人から「神様ありがとう」と言われてしまった日には。
「お前を好いとるのは神様じゃなくてワシじゃ!!」と言いたくもなろう、それは。
百歩譲って「神様ありがとう」がただの照れ隠しだとしても、人間ときには照れてる場合じゃないときもあります。
はりあいが無い、というのは馬鹿に出来ないマイナス感情です。

リアル鯖書房開店の暁には、安部公房『死に急ぐ鯨たち』と共にショーウィンドウに並べたい1冊です。
予測とは別の方向で大当たりでした。

むかしの話、の筈

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俎上にあがっているのは70年くらい前の事柄、この本で主に批判にさらされているのは蒋介石、のはず…が、そここに見られる、「つい最近の当該地状勢」で聞いたような話。
むかしの政策分析にかこつけて実は現政権批判でもあるのか、どうか。

言語の壁以外の問題

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かれこれ1年以上前に序文で挫折し、中学卒業以来ぶりの英語再学習を経て再挑戦しました。こんどは、どうにかこうにか。忌まわしいドレッシングやら「インクを呑め!」やら面白おかしい箇所が判別できる程度には…がしかし、更なる関門がいまさらになって発覚。

私はフロベールの作品を、ひとつも読んだことが無い。

フランス関連のエッセイ集なのですが、フロベールがらみの話題がかなり多いのです。そのような次第で、これからひとまず『ボヴァリー夫人』を読みます。もちろん日文訳です。仏語をいちから勉強しはじめる気力はいまちょっと残っていません。