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政治は誰のために

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即位した時点ですでに50代、しかも先代アウグストゥスとは血縁関係にないということでティベリウスは、つなぎ皇帝の気色濃くいかにも地味くさいのであるが、パクス・ロマーナの成立における彼の存在意義は大きい。莫大といっていい。それは彼が己の役割を適確に知り、果たそうとしたからである。即ち、つなごうとしたからである。このつなごうという意識において、ローマはローマたりえた。

ティベリウスは屈辱のさなかに皇位を継承した。若きゲルマニクスが皇帝に就くまでの中継ぎであることを事実上明言された遺言を聞きながら。にもかかわらず、ティベリウスはめげなかった。自分の役割はつなぐことであると知っていたからだ。ゲルマニクスへ治世をつなぐ? 否。ローマを未来へつなぐことであると。

彼は徹した。防衛線をエルベ河からライン河まで下げた。減税も「賜金」も行わなかったし、剣闘士試合のスポンサーにもならなかった。なぜか。彼は自分の名声や人気よりも、ローマの安寧秩序を望んだからである。戦線を拡大しゲルマンを制覇することは帝国の拡大にはなるが、その維持は困難になる。安易な減税は財政の悪化を招くし、臨時ボーナスや見せ物による経済効果も高が知れている。それよりもむしろ小麦法による貧困層への小麦の無料配給を維持したほうが、世の安定にも資する。

必要なのは、この志じゃないのか。

政治は自己実現の場ではない。行動療法のためのロールプレイングではない。安っぽいシナリオはもうたくさんだ。

ティベリウスは晩年、何もかも嫌になって、カプリ島の邸宅にひきこもってしまいます。しかし、ひきこもりつつも統治は続けたようで、ここまでいくと執念とか責任感とかでは語れない何かがあるような気もします。

なぜ暗殺だったのか

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カエサルが暗殺された理由については私なりの考えがあって、むしろ暗殺されなかったときのことを想像する方が難しい。カエサルというのは、ただの一人物ではない。カエサルとは、ガリアを平定しルビコンを越えポンペイウスを討ち帝政ローマの礎を築いた、一連の選択である。ローマ人や歴史の流れそのものなのである。

だから、カエサル最後にして最大の選択である死は、その人物の堅固なキャラクターを忠実に反映したものでなければならず、それは例えば戦死だとか病死だとか事故死だとか衰弱死だとかそういったものであってはならないはずだ。カエサルの死によってカエサルが頓挫してはならず、そのためには、暗殺者グループにデキムス・ブルータスが含まれていなければならず、そして当然「ブルータス、お前もか」はマルクスではなくこのデキムスに向けて吐かれなければならない。デキムス・ブルータスは、カエサルの遺言により、第一相続人が相続権を放棄した場合の相続人に指名されていたからである。ここでのポイントは彼が第一相続人ではなく、はずれ第一相続人だった、という点にある。カエサルはブルータスに継がせるつもりはなく、ただ、「お前もか」という科白を吐くためだけに、遺言状にその名を記したのだ。

カエサルは暗殺されねばならなかった。それは、暗殺者たちによるその後の失敗を見るに明らかである。暗殺者たちに為し得たことは、ただ、カエサルの、医的な意味での生を断つことだけだった。本来の目的であった帝政ローマを阻止し元老院による共和政を敷くことはまったくかなわなかった。そんなことができると思ったのは、結局キケロだけだった。そしてアントニウスは自分の番だと勘違いした。

先見に暗いキケロや、器量に乏しいアントニウスは脇に散り、主として檜舞台に登場するのは無名の青年オクタヴィアヌス18歳。カエサルの後継者としてこれ以上の選択はないだろう。意外性と妥当性、この二つを両立させるのに最も適切な人事である。政治の才能はあるが戦争はまるでダメ。両方とも行けるようならカエサルの次にはふさわしくない。カエサルが去った意味がなくなるからである。

処罰者名簿にもとづいた粛正、そしてアントニウス・クレオパトラチームの撃破、この二つの選択をもってカエサルは終わり、帝政ローマが始まった。カエサルがオクタヴィアヌスを指名したのは、オクタヴィアヌスが「寛容」ではなかったからだ。つまりカエサルにはありえない二つの選択を実行させるためだ。政治的天才であり、かつ、寛容ではない、この二点によりオクタヴィアヌスはカエサルの後継者たりえたのである。

と、いうのが、塩野七生『ローマ人の物語』から浮かび上がるカエサル暗殺の理由です。カエサルという選択の整合性正当性を死に至るまで忠実に描いている。まさに、「ローマ人の歴史」ではなく「ローマ人の物語」。こういうところにも作者の律義さが読めるかも知れません。ただ、カエサルがあまりにもうまくいっただけに、次巻「パクス・ロマーナ」が不安。おもしろいのかな。

まだ何もやってない

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古代ローマといえば、ユリウス・カエサルなのである。それぐらいは私でも知っているのである。でも、ユリウス・カエサルが何をやったのかは知らない。何かすごいことをやったのだろうとは想像するのであるがそれが何かは分からない。

そういう状況で、ローマ人の物語、カエサル編突入。しかし、活躍するのはむしろポンペイウス。海賊を一掃したりミトリダテスを征討したりオリエントを制圧したりした。つまり、地中海の覇権をローマにもたらした最大の功績者がポンペイウスなのである。一方カエサルはといえば、借金したり海外に身を潜めたり不倫したりそんな感じ。弁護士になりそこねたり。大失敗はないが大成功もない。どうなのこれは。すごいことはほとんどポンペイウスがやってしまっているのでは?この時代でポンペイウスを越えようと思ったら、ローマ統一ぐらいでは済まないのでは?すでに覇権国家となっているローマだし。

ただ、借金の額やモテモテ度は半端ではなかったようで、そのあたり大物っぷりをアピールするエピソードにはなり得るが、あくまでも副次的なものに過ぎない。そんなことで「世界史上最高の指導者」などと奉られたりはしないだろう。当たり前だ。

じゃあ、何をやればいいのか。結局この巻では何もやらなかったカエサルは次巻以降で何をやるのか。

  1. 時給500円のバイトで借金完済
  2. 不倫相手が続々と子を生んでギネス級
  3. ローマ字を日本に伝えた

1、2はともかく、3はすごい。すごすぎる。ローマ字がない世界なんて考えられない。啄木は困るだろう。いろんな人が困るはずだ。とにかくヘボン式なのである!

いや、それはどっちでもいいですね。

筆者いわく、ユリウス・カエサルは「要約を許さぬ男」。あまり結論は急がず、ぼちぼちと読んでいきたい所存です。それから、借金踏倒し法とマル秘モテモテテクニックは見習いたい所存です。

歴史に学びなよ

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ミトリダテスなんて誰も知らない。と思ったら、グーグルでかなり引っかかったのでミトリダテス戦役は有名だ。知らないのは私だけだった。紀元前1世紀頃、地中海の覇権を握ったローマに対し、「ローマの圧政からギリシャ民族を解放する」を旗印として戦いを挑んだポントスの王、それがミトリダテスである。

ポントス軍とローマ軍との間で展開された最初の戦争においては、十万ものポントス軍兵士が戦死したり捕虜になったりした。対してスッラ率いるローマ側の戦死者は、12人である。12人?そう12人。12万人ではなく12人。つまり、100000対12、なのである。開戦前の戦力もポントス12万、ローマ3万で、圧倒的にポントス有利な状況での敗北であった。

それでもミトリダテスはあきらめず、大国となったがゆえに体制の安定しなかったローマに反抗しつづける。ミトリダテスを駆り立てたのは正義感だろうか。周辺国から同盟を破棄され、息子には裏切られ、ポンペイウスに追いつめられたところで、ミトリダテスは毒杯を仰いだ。彼の無念はいかなるものだっただろう。彼の残したとされる手紙は、「ローマ帝国主義という「悪」からオリエントを救うという使命感」を伝える。しかしそれは真実だろうか。ローマにはローマの論理があるのではないか。

いや、欺瞞は止そう。むしろわれわれの知りたいのは10万対12なのではないか。ありえんよふつう。もうやめよう。ローマに反抗するのはやめよう、そう考えるよふつう。それでも戦えたのは何故なのか。それを教えてくれるのは歴史なのか。10万対12というのは本当に本当なのか。

それを教えてくれるのが歴史であるとするならば、それは歴史ではないだろう。歴史はそんなこと語らないだろう。そう、歴史は語らないのだ。饒舌な奴には気をつけた方がいい。偽者に違いないから。そもそも歴史なんてものはありえないのだ。存在しないのだ。すべての歴史は、歴史小説なのだ。

論理もへったくれもありませんが、ミトリダテスを読んでいて何だか切なおかしくなったので、今日はこんな具合です。昔から歴史は苦手です。三歩で忘れる鳥頭に、過去をうんぬんする資格などありません。あと、本書はローマ側から描かれていますので、安心して読んでください。ミトリダテスって、専門とかではどういう扱いなんだろう。ただの脇役なんだろうか。

ローマ人に倣う

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新潮文庫の夏企画につられて、読もう読もうと思いつつ先送りになっていた塩野七生読みはじめました。ひとまず『ローマは一日にして成らず(上)』了。塩野七生というと「政財界のリーダーたちに圧倒的な影響力をもつ、つまりは知的世界のみならず、現実とかかわるパワフルな読書人層にたいして圧倒的な人気と支持を得ている作家と見られ」(福田和也『悪の読書術』)ており、私のイメージもそんな感じだったので若干敬遠気味であったのですが、少なくとも『ローマ人の物語』については一般向けに書かれていると思われます。イタリアの歴史や帝王学とは無縁でも楽しめます。例えば本書『ローマは一日にして成らず(上)』ではローマ誕生から王政〜共和政へと移り変わる過程が取り上げられていますが、なぜ共和制が選択されたのかということが人間を中心に描かれている。誰それはこう考えた、というような具合に。誰の主張にも一理あり、感情移入でき、遠い昔異国の地で起こった出来事という距離を感じさせません。作者の筆力でしょう。編年体でないのもいいです。200ページ程度の文庫という手軽さもうれしい配慮です。ジーパンの後ポケットに無理矢理差し込んで、ふにゃふにゃふやけたのを悲しみつついつでもどこでもさわやかに読みたい感じです。