Archive for the フランス文学 Category

日月両世界旅行記

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月はまだわかる。も、太陽がいよいよもってわからない。

私はからだのまわりに露を満たしたガラスびんをたくさんくくりつけた。(p.12)

月に行くときのスタイルです。実際は(実際は?)「いくらでも高く上昇できると思われる機械」(詳細解説なし)で飛び立つのですが、基本的な推進力はこのガラスびんです。ガラスびんはフラスコ状で、15ページの挿し絵では、瓢箪を腰の周りにぶら下げた男が、「うひゃあ」というポーズで宙に浮いています。瓢箪の中の空気が熱せられて軽くなり?宙に浮かぶ?うん、セーフ。ギリギリセーフ。これなら月に行けるかも知れない。何をやっているんだこの人はと思いますが説得力、ギリギリあります。

が、しかしですね。太陽へは、箱でいくのですね(p.237)。えぇ。箱としか呼びようがありません。手品とかに使いそうな感じの。一応、帆のようなものが付いています。風を受けるのか?風で太陽まで昇るのか?

まぁいいです。いくんです。いけたんです。いけたはいいんですけど太陽の、何をどう解釈していいかわからない。

そこである動物が息絶えると、いや、もっと正確にいって、消えてしまうと、その実体を構成していた火性の小物体はこの燃え立つ世界の粗大な物質の中に入る。そして偶然にあの三本の川の退役に潤されるようになるのを待つのだ。そのときになるとこれら小物体は、それが本来もっている流動性のゆえに動きが自由になり、川の水によって漠然とながら教えられた諸機能を早く実行しようと長い繊維状になって互いに結びつき、発行部分の入出によって鋭い光線となってまわりの諸天球へと広がっていく。(p.381)

これ、まだまだ続きます。太陽に住む動物たち(平均寿命7〜8000年)の死に様を描いているのですが、具体的にどういう絵を想像すればよいのかわかりません。そのせいで、ガリバーよりもマイナーなのだと思われます。

月よりも太陽が難しいのは、月からは戻ってくるけども太陽へは「行きっぱなし」(未完?)だからかも知れません(ネタバレなので伏せておきます念のため)。

弧客(ミザントロープ)

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きゃあ!月末!たすけて〜モリエ〜ル!って激しく既視感を憶えます。 それとも、なんらかの、空前の、モリエールブーム? すなわちモリブーム? 投稿日時をちょっとばかしインチキしたことについては涼しい顔でスルー。

いや、まぁ、そんなことはおいといて。今回は『弧客』でございます。正直、「店主が読まなくてよかった」と思いました。なにこの主人公。店主だったらぶった切りですね。まっぷたつでしょう。私は銀河よりも広大な心で許容しますが。

主人公アルセストは生真面目というか融通が利かないというか、人に対して思ってもみないことをいったり、阿諛追従するのが我慢ならないのです。ある詩の作者に意見を乞われてぼろかすに酷評し、訴訟沙汰になったりします(まぁこの場合はどっちもどっちですが)。こんな種類の対人潔癖症は、若さにはありがちなことととも言えます。

そんな彼の弱点は恋人(現代の感覚では「恋人」とは呼べないような気がしますが、それはさておき)。その恋人セリメエヌはアルセストの友人フィラントの言によれば、「コケットで口さがなく」「現代の悪癖がしみ込んでいる」「変な女」。無闇に愛嬌をふりまいて男性を翻弄するタイプの女性です。アルセストからすれば不真面目で不誠実で、本来最も嫌いなタイプの人間なわけですが、でもなぜか惚れてしまう、これも若さにはありがちなことですね。

そのことについてはアルセストも自覚的です。友人の突っ込みに彼は答えます。「僕がいかにあの若い未亡人を愛しているにしろ、目にあまる欠点がみえないわけではない。…僕があの欠点を認めても、咎めたてても、残念ながらあの女は男に好かれる女なのだ」。そして若さゆえの気負いでもってこう宣言するのです。「僕は誓って、強い情熱であの女の時代病を洗い清めてやるつもりだ」。

よけいなお世話だなぁと思いつつも、これだけならまぁそれはそれでがんばりやと言えなくもない。だけど、ちょっとあやしい手紙が一通出てきたくらいで、宣うのが次の科白ですよ。あえて引用タグで囲んでみますよ。

僕の望みを容れて不実な女に代わって望みをかなえて頂きたいのです。それでこそ仇も討てるのです。僕はあの女を罰したい一念で、貴女を心から想い、深い愛を傾けて、敬いかしずき、悦んで夫たる務めも果たし、誠心誠意で仕えます。これこそ僕の捧げる熱烈な犠牲なのです。

これをセリメエヌの従妹エリアントに向けて発するのです。エリアントは真面目なアルセストのことを憎からず思っていて、アルセストはそれを利用しようとするわけです。ただ、エリアントはきわめて冷静で、「復讐したいお気持ちもやがてなくなってしまいましょう」と受け流します。エリアントにはもう少しまともな男性と結ばれてほしいものです。

若いってことはただそれだけで病気なのです。ふつうならアルセストは極刑だと思うんですけど、精神鑑定で無罪になってしまいそうです。あるいは少年法が適用されて。言うなれば青年14歳。

さて、この「弧客」という聞きなれないことば。訳者によれば、「厭世家」とか「正義派」とか「寂しき人」とかいろいろ考えたがしっくり来ず結局「弧客」に落ち着いた、とのこと。「弧」はともかく「客」はどうしても「ゲスト」のニュアンスが含まれて違和感があるのですが、広辞苑で調べてみますと「ひとり旅の人」ということでやはりちょっと違うようにも思われます。含みがあるにせよ、含ませすぎではないかと。訳者が「親しめなかった」としてあえて避けた直訳の「人間嫌い」でよかったんじゃないのかな。七字の法則にも合致しますしね。

いやいやながら医者にされ

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夏も終りの岩波文庫。残暑厳しい折りみなさまいかがお過ごしでしょう。アリバイ作りのように更新する鯖書房岩波文庫部ですが、違いますよ。え?8月?31日?今月更新なし?やべぇ!って、そうじゃないんですよ!僕はもう、泣きながら牛乳パックでロボット作ってたあの頃の僕じゃないんだ!(トラウマ)

はい、本日はモリエールです。

お読みになった方にはご納得いただけると思うのですが、これってタイトル変ですよね。「いやいやながら医者にされ」だと、医者の家に生まれた子どもが無理矢理跡を継がされるというような話かなぁと想像しますよね。実際には主人公は医者ではありません。どちらかというと木こりです。あえていうなら「いいえ、風変わりな医者で、木を伐るのが好きなんですよ」ってとこでしょうか。

喜劇と言うよりもショートコントです。どこを切り取ってもおもしろいのですが、この夫婦が振るっている。

スガナレル あっちへ行ってくれ。お前の顔を見ると、せつなくて、せつなくて。

マルチーヌ いいえ、わたしゃここにいて、お前さんが死ぬのを応援してあげるよ。お前さんが、縛り首にされるのをみとどけるまで、わたしゃここから動かないからね。

スガナレル やれやれ!

これが岩波文庫で読めるってのは本当に幸せですね。

リイルアダン短篇集 (下)

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下巻はより皮肉の利いた感じ。

未知の女は知られて尚魅力的か、とか、新聞への寄稿はアイルランド式拳闘の奥義に通じていれば可能か、とか、放火は何故大罪か、とか、黒い白象は何象か、とか、幼なじみが同じ夢を見ることは可能か、とか、幸せとは何か、とか、幸せとは何か、とか、幸せとは何か、とか。

幸せを語るにはまず不幸から、ってのは常套ですね。

クレーヴの奥方 他二篇

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いくら前置きに「野心と恋愛とは宮廷生活の心髄のごときもので、男も女もひとしくそれに憂き身をやつしているのである。」とあっても、少しは、それ以外の話だってあるだろうと思ったのですが。
敢えなき期待に終わりました。
せめて素っ頓狂な口説き文句のひとつでもあってくれれば…

しかしもっとショックだったのは、

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愛の妖精

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ギルバート側にも視点を置いた「赤毛のアン」とでも言うか、あるいは「長靴下のピッピ」か(すいません「ピッピ」は未読です。当てずっぽうで例えをひねくりだしてます)。
もし’不思議少女’の系譜をテーマに論文を書こうという人があれば、参考文献として外せない1冊になるかと思います。

それはさておき、パンの「尻」。

主人公その1かと思いきやむしろ脇役だった双児兄シルヴィネいわく「一番おいしいもの」というこれは、いわゆるパンの耳のことなのか。
確認すべくグーグル検索にかけるも、ひっかかるのは「Gパンの尻」ばかり…
とりあえず英語にこういう「尻」の使いかたは無いようです。
パンの「踵(heel)」とは言うみたいですが。

リイルアダン短篇集 (上)

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通底する何かを読み取るのが本来なのでしょうが私には難しいので、放棄します。

仲間の成功を祝駕する戯作家たちの夜食会。酒が進につれて話は活気づいてくる。話手は自身が介添人を務めた決闘の話をする。決闘が終り、倒れて血を流す決闘者に向かって彼の吐く科白は、「アンコール、アンコール!」

この短篇のタイトルが「暗い話、話手は尚暗く」なんです。

五頁のうちに、

あの日は、シャン・ゼリゼエの大歡兵式であつたが!

が四回、

『憐れな盲者にお慈悲を、お願ひで御座います』

が六回出てくる「民衆の聲」。「繰り返し」は「笑い」の基本ですね。

秀逸なのが「斷頭臺の祕密」。死刑囚エドモン・デジレ・クゥチー・ド・ラ・ポンムレー博士の元に、ある面会人が訪れる。面会人の名はアルマン・ヴェルポー教授。高名な外科医である教授は博士にある実験の話を持ちかける。その実験とは、「斬首後の脳に意思は残存するか」。

断頭台と死刑囚を使った実験という、設定だけでも卒倒しそうですが、結末。この結末はちょっと予想できない。うん、普通の人間には無理だ。短編小説であることを忘れてしまいそうになる。

というわけで下巻に続きますよ。

海の沈黙・星への歩み

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テオ・アンゲロプロス監督で映画化されないものでしょうか。
とくに「海の沈黙」、アンゲロプロスのDVD全集に収録されていないのが不思議に思えるくらい「いかにも」です。
姪役はもうエヴァ・コタマニドゥ以外には考えられません。

それはともかくとして、いくらなんでもこの将校のキャラクターに「ござんす」てな語尾はちょっと…
そろそろ新訳に期待したいところです。

心変わり

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心変わりのタイトルが書店に積まれているのを見てクラクラしました。あらすじ紹介はやらなくても、やらなきゃならないのは「きみ」。「きみ」についての気分を述べることでしょう。

「きみ」というのはもちろん読者のことではありません。君は45歳になったばかりではないし、頭が薄くなりはじめてはいないし、アンリエットの髪が黒いのを思い浮かべたりはしない。スカベッリ商会とは関係ないし、ローマに愛人はいない。だけどもその男は「きみ」と呼ばれるのです。
列車内での「きみ」の心変わりがあまりにもスムースなので、「きみ」はその描写のための方便だと以前の私は思っていましたが、素直に読むならば「きみ」というのはつまり誰かに「きみ」と呼びかけられている主人公以外の何者でもないですね。「きみ」が主人公であるのはいいとして、では「きみ」と呼びかけているのは誰なのでしょう。誰でもないのでしょう。

世界に投げ出された現存在が「どこから」を問えないのと同じで、「誰が「きみ」と呼ぶのか」も、「誰でもない」としかいいようがないのでしょう。「誰でもない」というのは「誰でもない誰か」ですらありません。もちろん作者でも語り手でもビュトールでもありません。読者であるあなたでもないはず。ただ「きみ」は、「きみ」と呼び出されているのです。そしてこれは手法として確立されています。

確立されているにも関わらず、類書が見られないのは何故でしょう。それはつまり、タイプしながら消えていく、はじめから存在しないものとして消えていくことの困難さなのでしょう。今さらいうまでもありませんが、この「消える」とか「存在しない」とかも比喩に過ぎませんので念のため。ことばってのは本当に不自由ですね。

「きみ」が「彼」と呼ばれる時間帯に、彼に語りかける声というのは誰なのでしょうね。ただの彼自身なのでしょうか。だとすると「きみ」と呼ぶのも「きみ」自身だと説明したくなりますが、簡単に済ませようとするな。

にんじん

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誰もが否定したいかも知れないが、誰だっていくばくかはにんじんなのである。ルピック氏、ルピック夫人、フェリックスやエルネスチイヌを登場させれば、「家族」や「個」というもののほとんどが現れてくる。

で、にんじんは、ルピック夫人がそこにいない間に、自分一個の意見を陳べるのである。
「僕としちゃあ、家族っていう名義は、およそ意味のないもんだと思うんだ。だからさ、父さん、僕は、父さんを愛してるね。ところが、父さんを愛してるっていうのは、僕の父さんだからというわけじゃないんだ。僕の友だちだからさ。実際、父さんにゃ、父親としての資格なんか、まるでないんだもの。しかし、僕あ、父さんの友情を、深い恩恵として眺めている。それは決して報酬というようなもんじゃない。しかも、寛大にそれを与え得るんだ」

まぁこの意見はあえなく却下なわけだが。

ルピック氏曰く。

「我々って、いったいなんだ? 我々なんて、ありゃせん」