Archive for the ギリシア・ラテン文学 Category

ギリシア恋愛小曲集

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書名からすると、うっとり麗しい詩集か、という予測は大ハズレでした。
色恋がらみの短いお話集ですが、どちらかというと激越なものが多いです。

(p. 140)王族の一人アリストデモスが娘を(引用者注:生贄に)差し出したところ、娘の婚約者が進み出て、娘の権利はもはや父親にではなく許婚の自分にある、娘を生贄にはさせぬ、と主張したが甲斐なく、次に若者は、娘と自分とですでに関係を結び子を孕んでいる、と言いたてる。父は激怒して、娘を殺し腹を割き、妊娠していないことを示した(パウサニアス『ギリシア案内記』4・9・3以下)。

これは本文ではなく訳者補注にあるものなのですが、本文の方も、その逸しかげんは遜色ありません。
しかしやたらあっさりと殺したり自害したりするのは本ジャンル頻出パターンなのでもはや珍しいという気にはなりません。それよりも、

スパイ志願して敵国へ向ったアラスパスはいったいどうなってしまったのでしょうか(「パンテイアとアブラダタス」)。
てっきり当て馬的な目立つ脇役かとばかり思っていたのに、途中で放り出されたまま終幕してしまいました。
どうも長い作品(『キュロスの教育』)からの抜粋らしいので、掬い取ってはもらえなかった部分におそらくアラスパスの顛末も有るのだろうと思うのですが…

ところで、物語の中で脇役がそれほどぞんざいには扱われなくなったのはいったいいつ頃からなのでしょうか。

お話の設定(人が考えること)のバリエーションはもうとっくの昔にかなり豊富に出揃っていた、ということは、ここしばらくのギリシア・ラテンもの集中でよく分かりました。
「神は死んだ」の言い出しっぺがニーチェではなかったことは前回の聖書集中で知って穴があったら入りたい恥ずかしさでしたが、もうこのさい『チャタレイ夫人の恋人』の原型はアフロディーテとアレスなのかとかでもかまいません、記録に残ってないとか解読できないものとか風化したものもいくらだってあるだろうことを思えば、「目新しい話」の原型はどこまで遡れるのだろうという気が遠くなる空想はひとまず棚上げして。

無視されない脇役、もしくはパッとしない(脇役のような)主人公は、最近のものなのか、そうでもないのか。

岩波文庫のギリシア・ラテン文学40数冊に、私が読んだ限りでは、ポール・ペニーフェザーは居ない、ような気がするのです。
オデュッセウスはマッチョではないかもしれませんが、口が達者すぎますし女を捨てて逃げますし盗みもするし皆殺しもします。
たんに文系だったら穏当かというとけっしてそんなことはない。

たまたま岩波文庫にはまだ収録されていないだけで、「ふつう」な主人公もやはり大昔から居るのでしょうか。

ギリシア・ローマ古典文学案内

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岩波文庫のギリシア・ラテン文学ジャンルには、各章のはじめに「梗概」が付けられているものがかなり有ります。
時間に追われている人に対して親切だなぁと思いつつ、それがまた肝心の本文より、すっきりと整理されているぶん(とくに話の筋については)梗概だけ読んだほうがむしろ頭に残りやすかったりするので、こういう便利なおまけがあると、はたして本文に通り一遍でもきっちりと目を通す人はどのくらい居るのだろうか、と。

そして本書は、それら重宝な梗概よりもさらに簡潔にまとまり、かつよりいっそう充実させた作品・作者・地理・時代背景・後代への影響ガイドになっています。
あまりにも充実していて、これをきっかけにして本ジャンルの岩波文庫を読んでみようという気になるのか、危ぶまれるような気がしてくるほどです。

むしろこれ1冊でかなり読んだつもりになりそうというか、過度の満足感が得られそうな…
実は、まだ手をつけていない青版ギリシャもの(本書はこの範囲もカバーしています)について、まさにいま↑この気分になっています。
おそらくこのまま相方に押し付けることになるのではと思われます。

コンパクトで入手もきっと容易(2005年8月で第50刷)、写真付き。
けっしてこれまで読んできた40数冊が無駄に思えるということはないのですが、(個人的に、ルキアノスは全文読んだほうが面白いと断言します)が、この無謀な苦行企画がなかったら、私はきっとまず最初にこの1冊を読んで、それでもうギリシア・ラテンには納得満足して、それっきりになったのではないか、という気がします。
良いガイドブックとはいったい何なのか、にわかに考えさせられました。

古代希臘文學總説

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画数の多い旧漢字の表記かつ小さな活字が読みづらいという難点はあるかもしれません。
しかし、漢字表記に原語(カタカナ)のルビ付き、という形式は、読み進みやすいし意味も取り易く、むやみにカタカナ語→註参照の多い訳文よりはずっと読み易いと感じました。

喜劇の変遷についても触れられているし、哲学に分類されている人物も広くカバーしていて、しかもブルフィンチ『ギリシア・ローマ神話』よりコンパクトです。

表記法が古いというだけでなく、ひょっとして学説としても古いとか、素人は知らない事情があるのかもしれません、けれどジャンル特有の用語や人名を学習するには悪くない1冊、品切れ放置しておくには惜しいと思います。

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中世騎士物語

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『ギリシア・ローマ神話』と同じ著者/訳者だとは思えない容赦のなさです。

(p. 25) 物語のできる最初の形は粗野な詩の形である。物語が王侯騎士の饗宴の席で歌われ誦されたのはそういった形であったと想像されている。
 散文の物語が現れて来たのは、13世紀も終りに近い頃であった。それらの著述は、先ずもって、作者が実はそこから材料をとって来ている種本を否定したり、けちをつけたりすることで始まるのが常であった。物語は皆正史だと思われていたのだから、もし散文の物語の作者たちが、自分たちは実は遊歴詩人の写字生に過ぎないなどと言おうものなら、たちまち信用を失墜したであろう。反対に、彼らは一般に流布している詩は誤りだらけであって、某々騎士の正真正銘の歴史を、彼らはラテン語、ギリシア語あるいは古代ブリトン語、アルモリカ語の原典から翻訳したのだと述べた。ただし、その原典なるものは彼らの断言の中にだけ存在するものなのであった。

これは読みようによってはたとえば

散文の物語の作者→現代版の異聞(異議申し立て)作者
遊歴詩人→先に作ったひと
信用を失墜→書く理由の消失
原典→真理

などと置換され、生半可な「書く意欲」を踏みつぶすには格好の言い回しではないでしょうか。

たぶんこういった牽制のようなことは言葉を換えていろんな人が言っていて、それらをものともせずに書くのはどういう場合か、と推測すれば、おそらく人の話なぞ聞く耳を持たないか、あるいは書かねば死ねないくらいよほどの怨念を抱えているか、あとほかにはどんな状況がありうるか…
強制されないと日記すら書く気にならない者にはもうよくわかりません。

ところで序説はあれこれと面白かったものの、肝心の騎士物語本文はというと、読み進んでも読み進んでもいっこうに登場人物たちの区別がつかず、半ばを過ぎる頃には「せめて挿絵でもあれば…」と弱音を吐きました。

これまで、挿絵というのは読み手の想像を限定させるものだと思っていましたが、挿絵の助け無しには人物がまったく像を結ばない事もありうる、とはじめて知りました。
ひょっとすると、このジャンルというか世界観が、それだけ私には向いていないということなのかもしれません。

ギリシア・ローマ神話

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(分類番号から行くと赤200番台→イギリス文学なのですが、『岩波文庫解説総目録』ではギリシア・ラテン文学へ振り分けられています。当ブログでのジャンル分けは解説総目録に従いました。)

巻頭の夏目漱石による序文に「呑気な」とあるのがひっかかり、これまで読んできた岩波文庫中のギリシャ神話・悲劇・喜劇他は様々なノリの作品があったけれどもさて「呑気」なのはあったろうかと…

ところが本書を読むと、たしかに「呑気」に見えてくるのです。
何故か。

多くのエピソードが1冊にまとめられているので、端折っている部分はあります。
誰に何が起きたかは基本的に省略されていないようで、

(p. 253 リノス)
 リノスはヘラクレスの音楽の先生でありましたが、ある日あまり手厳しく叱ったので、ヘラクレスは腹を立てて、竪琴で彼を叩き殺しました。

誰が何をどう言ったかはだいぶん簡略されているようです。

セリフを削って起きた事だけを記述してゆくと殺伐が「呑気」に変容するのか、と一瞬だけ思ったのですが、どうもそうではなくて、これはおそらく訳文体のせいかと今は考えています。

しかしそれはともかくとして、よくまとまった本です。
岩波文庫の本ジャンルに版元品切が多いのはこの1冊のせいではと勘ぐりたくなるほどです。

「このさき原典すべてを読破する暇は取れそうにない。えげつない細部とか笑いとか艶とかはこのさい、すっとばしても構わないから、ギリシア・ローマものをできれば1冊でざくっとさらえるのは」と訊かれたら、これを推します。
厚さ約1.7ミリで重さ250グラム弱、と通勤通学のお供にも手頃。
新刊として買っても800円(税別)、2006年10月時点で48刷ということはおそらく古書店での相場も高騰してはいない筈です。

ギリシア・ローマ名言集

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このたぐいの本で人語以外が採り上げられているのを私は初めて見ました。
ほかにも例があるのでしょうか。

ギリシア奇談集

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ひとつあたり1頁にもならないくらいの短い逸話が400頁余り。
一応ぜんぶ他人事らしいのですが、ほんの少しずつ所感のようなものも付いているので、読み進むにつれてだんだんと、著者の人となり、というか好き嫌いの基準が浮かび上がってきます。

嫌っているらしいもの:
色香で商いをすること
これみよがしな振る舞い
(蓄財目的の)ケチ

好んでいるらしいもの:
貞節(献身的)な妻
無私
(野心を伴わない)貧乏

たぶん現代においても「わかりやすい」基準だろうなと思います。
同意はできないにしても、なるほどな、とは思える。

しかし、ひとつだけ、どうにも「わからん…」ことが。

(p.69 第2巻14:クセルクセスの愛したプラタナス)
ゼウスの造られた海や陸を侮辱し、新しい道を作り前代未聞の渡海を行う一方で、プラタナスに仕える身になり下がり、樹木を崇拝したとは、クセルクセスも笑うべき男である。

ここの他にももう1カ所、しつこく2度も「笑うべき」と言われているクセルクセスがいったいどう「笑うべき」なのやら…

おそろしくせつない話だと私は思ったのですが。

アベラールとエロイーズ

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(p. 330 アベラールからエロイーズへの第八書簡) 世には賢明な節度ということを忘れ、自分の収入が少ないのに多くの家族を持つことを得意になっている人々がいる。彼らはその家族の世話が困難となるにつれて、恥じらいもなく物貰いをしたり、自分の要る物を他人から暴力で奪ったりする。方々の修道院の主脳者たちにしばしばこれに似た人々が居るのを我々は見ている。彼らは修道士の数が多いのを誇り、善い息子たちを持つことよりは多くの息子たちを持つことに努め、多数の修道士の間に長と仰がれることを偉いことに思うのである。彼らは人々を自分の支配下に引き入れたいばかりに、困難な生活を予告しなければならない立場にありながら楽な生活を約束し、何らの試練も経ずに無造作に人々を収容する。だから後になって彼らは、これらの人々を、容易に背教者として失ってしまうのである。

ここで言われる二方が、互いに「もうちょっと先を考えて行動しろよバカが」「おまえこそ、おためごかしを言うな偽善者が」と罵り合う様はパッと浮かんだのですが、目くそ鼻くそだと括る発想は…たしかに一段抜けた視点ではあるかもしれません。しかし。

物盗りしたり信者から見捨てられたりする人よりも、子供を売り払ったり信者を鉄砲玉扱いする人のほうが、そのロクでもなさかげんにおいてずっと始末に負えないと思うのですが。
いやそれだけの違和感ではありませんでした。
この「抜けた」感じ、これは、不穏です。どうにもひっかかる。
「アホいうやつがアホなんや」という視点が足りないような気がするせいかもしれません。

端から見た状況はともかく、当事者ふたりの真面目さかげんは一貫しています。
なぜここまで息を抜かずにいられるのか不思議なほど。

しかしそれにしても、引用がとても多いです。
後半(第6書簡以降)になるともう地の文(手紙本文)より聖書からの引用の方が多いのでは。

さてこれは中世という時代ゆえの傾向なのかどうか、ゆっくり確認、と思ったら岩波文庫に中世ものは本書以外あと1冊しかない。
いかになんでも少なすぎでは…まさかこの少なさも時代の特性なのでしょうか。

黄金のろば 下巻

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終盤、ろばルキウスは女囚との白黒ショーに駆り出されることになった、筈なのですが、いつのまにか女神やら祈りやら救済やらの話に。
いったいどこで見世物の話がすっとんだのか、何度読み返してもその境い目はよくわかりません。

それはともかく、

p.186(本文p.128「生まれたら、すぐそのまま殺すように頼みました」への略註)
これは虚構的な着想ではなくて、古代にはその例を見ることが出来た。余り子供が多すぎて、育てても不幸になるという場合生まれるとすぐ両親の意のままに殺していた。それは男の子よりも、どちらかと云うと、持参金で厄介をかける、女の子の方が殺される場合が多かったようである。(V.Betolaud:ibid. P.478)

これまでずっと、女児の間引きは働き手として非力と判断されるからかとばかり想像していました。
女の子の方が、ゆくゆく金がかかるから、とは。
尾張名古屋文化圏の出身者としては、大昔の事として読み飛ばそうにも…うすら寒い話です。

黄金のろば 上巻

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語られる話の中の登場人物が更にお話を語り始め、その登場人物も更に…という入れ子構造を行ったり来たり、いちおう「」と『』が目印にはなるのですが、どれもだいたい同じような場所で同じような時代の話、基本は変身譚で人物描写をいちいち掘り下げるわけでなはい、となると、さていまは何重目の語りにあたるのだったやら。
途中から確認作業を放棄してしまいました。